ミネラルウォーターの歴史

・「山城炭酸水」  1880年(明治13年)
 「東京絵入り新聞」に、「山城炭酸水」という商品 広告が掲載、これが日本での市販ミネラルウォーター 最古の記録といわれている。販売価格はひと瓶20銭。

・「三ツ矢平野水」  1888年(明治21年)
 兵庫県平野から湧き出る自然の炭酸水を、明治屋が 「三ツ矢平野水」として販売。後の「三ツ矢サイダー」

・「ウヰルキンソン炭酸鉱泉水」  1890年(明治23年)
 英国人ウヰルキンソンにより六甲の麓に湧き出る炭 酸を含んだ鉱泉水が兵庫県で製造販売。外国人向け。

・「富士鉱泉水」  1929年(昭和04年)
 堀内合名会社が甲州下部の鉱泉水を販売。ニーズは ホテルやレストラン。現「富士ミネラルウォーター」

・鉱泉水→ミネラルウォーター  1945年〜(昭和20年代)
 戦後、進駐軍用の需要が増大し、呼称もアメリカ式 に、ミネラルウォーターと呼ぶのが一般的になった。

・鉱泉水→ミネラルウォーター  1955年〜(昭和30年代)
 景気回復と共に、トリス・バー等の洋風酒場が流行 し、ウィスキーの水割用としてその地位を確立した。

・ミネラルウォーター流行  1967年(昭和42年)
 高度成長期を迎えサントリー・ニッカウヰスキー等 の洋酒メーカーが、ビン詰めのミネラルウォーターを 商品化。水割りの流行と共に広く一般に認知される。

・「ペリエ」登場  1982年(昭和57年)
 外国産ミネラルウォーター「ペリエ」が輸入販売。

・「六甲の美味しい水」登場  1983年(昭和58年)
 洋酒メーカーではなくハウス食品から一般家庭対象 に日本初の家庭用ミネラルウォーターが誕生。水割り 用というイメージを覆しシェア拡大、名水ブームへ。

・全国的なブーム   1984年(昭和59年)
 全国的な水不足の背景下「六甲のおいしい水」成功 をきっかけに全国各地の企業・自治体が製造販売へ。 20程度だった国産銘柄が、一気に200ブランドを越す。

・輸入品続々登場   1986年(昭和61年)
 基準一部改定、ヨーロッパのナチュラルド・ミネラ ルウォーター(無殺菌)輸入正式認可。大手ブランド 「エビアン」「ヴィッテル」他輸入品のニーズも拡大。

・アクアバー登場   1989年(昭和64年)
 西武デパート池袋店に、ミネラルウォーター専門店 「アクアバー源流」が登場、マスコミで話題になった。 (現在は閉店しています。)

・家庭用シェア業務用を超える   1990年(平成02年)
 家庭用ミネラルウォーターの消費量が業務用を超え た。農林水産省が品質表示ガイドラインを公示。家庭 用と業務用の消費量が合わせて175,000キロリットル。

【農林水産省が品質表示ガイドラインによる分類】
   ナチュラルミネラルウォーター
   ミネラルウォーター
   ナチュラルウォーター
   ボトルドウォーター

・1987年→シェア4倍に   1992年(平成04年)
 生産輸入量合計が350,000キロリットルを超えた。

・ホルダー登場   1993年(平成05年)
 500ml用を首から下げる「エビアンホルダー」登場。

・ミネラルウォーターガイドブック   1994年(平成06年)
 日本で初めてのミネラルウォーター専門書が新潮社 から出版。
    「ミネラルウォーターガイドブック」(早川 光)

・異物混入事件   1995年(平成07年)
 カナダ産のミネラルウォーターにカビの胞子が 混入、その後の厚生省の調査で異物混入が認めら れた違反品は計41銘柄に及び、その中にカナダや オセアニア産が含まれていたため、外国産の水は 危険との心ない風評も立ちましたが、実は違反品 の本数は輸入品よりも国産品の方が圧倒的に多く 厚生省生活衛生局の発表では、輸入品の違反率が 0.55%に対し、国産品の違反率は5.58%あった。

 

   雪花水 誕生   1995年(平成07年08月25日)

 

・1987年→シェア10倍に   1997年(平成09年)
 消費量が790,000キロリットルを超えた。国民一人あたりの年間消費量6.3g。10年前の約9倍に。

・1,000,000キロリットル突破   1999年(平成11年)
 消費量1,000,000キロリットルを突破。国民一人あたりの年間消費量8.9g。消費行動の定着。

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