8:聖都へ



「…明るい…? ――――は? ええっ!??」

「起きたか。なんだ、ちゃんと起きられるんじゃないか」
「!っ あ、う、うん!お、はよう」
 目をゆっくり動かし、それから身体を起こす。小さな窓から漏れる光で、ああ、朝なのかとぼんやりと思う。しかし、「ええ!?」と言った辺りで完全に覚醒した。
 ゆらゆらと揺れている気がするのは、そういえば船に乗っているからだった。
 波が船体に当たる音が聞こえてくる。

 驚いているのは目のやり場がない、と感じたから。
 さっと顔を、目線を落として自分を覆うブランケットで隠す。
「……」

 部屋にはシャツを手に、上半身に何も纏っていないジョルジュの姿があったからだ。
「(あ、あれ!?お着替え中!?……ってなんで、こんなー……だってここ、私の部屋だよ…ね?)」
 視線を動かして壁に自分の服と、ベッド脇の杖を確認し。

 思い出した。

「(……はッ!? うぁああ!)」
 昨晩、「甘えている」としか取れない動作でここにジョルジュを引きとめた。
「―――〜っ!!!(わ、私なんて事を!?)」
 今更、触れた身体の感触や温かさ…、そうして昨晩の自分の行動を思い出して、もう騒ぐことも出来ず俯く。

「……朝から表情だけは忙しい奴だな」
「(ひっ!)」
 こつこつと音が近付いて来て、エスナはさらにブランケットを被るよう手繰り寄せた。
「おい、二度寝する気か。…そんなに大声出せるなら気分が悪いんじゃないんだろ?」

「あ、ああ…う、うんっ!…へ、平気、へーき。私、強いし…」
「……。ま、冗談が言えるなら大丈夫か」
「冗談…」
 思わず顔を上げると屈んで顔を覗きこむジョルジュが目の前いっぱい。
「うわ!!」
 整った顔立ちに、深い蒼い瞳、朝日を浴びて淡い蜂蜜のような色の金の髪。逞しく均整の取れた身体――――。
「ちょっ…ジョル…」
「ふん、…人の顔見て何叫んでんだよ。失礼な奴」
「い、いや…その」
「…やれやれ」
「あ、 あの!私も着替えるから〜…」
「ああ、どうぞ。このまま着替えてもいいんだぜ?」
「や、やめてよ!追い出すよ!!」
「ははっ、ま、それだけ元気なら大丈夫そうだな。…じゃ、戻ってるぜ」
「う、うん。……ごめん、――――あ! ありがと…」
「……。いや?毎日ああして欲しいんだろ?」
 耳まで朱に染めながら、それでも礼を言うエスナに可笑しくなって、おどけ、からかうように。
 気が付かない振りをしたが、「恥ずかしがっている」のは知っている。それに乱れた長い髪に寝起きの姿、何も思わないと言ったら嘘になる。―――だが、少しこのようにからかえば予想通り、いやそれ以上に慌てるエスナの様子がおかしくて思わず言ってしまうのだ。
「はいぃっ!?」
「全く、面白い奴だな」
 部屋を出て行く前、シャツの袷をはめながら。

「――――ああ、そういえばお前、その服しかないのか?」
 くい、と顎で指し示す。
 視線の先には司祭のローブが壁に架かっていた。
 それは戦争中に着ていたものとはまた違うものだった。金と銀で編まれた裾の装飾も文様も、美しい組紐も、恐らく人の世界のものではない。
「服…ってこれ? …そうだけど」

「……。ふうん」
「…?」




「驚いた。ほんと、驚いた」
 はぁ、と息を吐いた。

「ジョルジュ…、悔しいけど…かっこいいよね…、むー…」
 瓶から水を零し、顔を洗う。結われた長い髪を邪魔そうに払う。
 ぽたぽたと水滴が落ちる顔を水鏡に映し。

「……」
 そこには何処か困ったような、自分の顔。
 頬から手を滑らせ、耳に触れる。

「私…本当に行っていいのかな。……チキには会いたい…だけど」

 耳に触れた指はその形をなぞる。人にはない形。
 「マムクートなんだろう」と、誰かの声が聞こえる。く、と眉を寄せ目をきつく閉じた。

 のろのろと着替えながら、何度も考えた事がループする。
 ともすると、ジョルジュの想いさえ否定にかかっている自分に顔をしかめた。
「他にもいっぱいいるじゃない…。でも、」
 昨晩もらった銀の司祭の指輪を通し、唇を当てる。
 ひやりと冷たい感覚と、文様のでこぼことした感覚が同時に伝わって来る。

「でも! ジョルジュの気持ちを知ったからにはもう戻りたくない。折角手が届いたんだもん。……だったら、――――絶対に守る。昨日、言った通りに」
 胸の前でぎゅっと左手を握りしめ、それを右手で覆った。



 荷物をまとめ、ドア脇に置いた所で、外からのノック音にはっと意識が戻る。
「――――あ。は、はい!」
「遅かったな。荷物は――…ああ、持っていく」
「あ、りがと。 や、自分で持てるよ。大した量ないから」
「いいから」

「ジョルジュ」
 自分の前を歩く背。
 無造作にまとめた少し癖のある金の髪。広い肩、自分より高い背。
「…あん?」
「………。久しぶりだね」
「…? アカネイアが、か」
「…うわ…!見て!!陸!あれって港!?」
「ああ、漸く着いたな」
 昨晩怖いと感じた黒い波は、今は真っ青と、飛沫の白さがきらきらと光っている。
 陸地が見え、思わず目を丸く見開いた。
「………は…」
「どうした、感無量、って顔だな」
「…チキに会えるんだー、って」
「ああ、ずっと待っていたんだ。…甘えさせてやれ」
「うん!」




 波の上にいたからか、足に残る違和感。
 少し飛び跳ねてみて、その妙な感覚に「うーん」と唸る。
「………。初めて船に乗った奴みたいだな」
「あは、なんかまだ船に乗ってるみたいでふらふらする」
「じゃ、身体を慣らす為にも少し散歩するか」

 荷馬車に荷物を預け、そのまま見送ってしまう。それに首を傾げ。
「え、パレスに行くんでしょう?」
 ジョルジュを見上げると苦笑したような顔。
「まずはノルダに寄って行く。少し見たい物もあるしな」
「? う、うん」


 ――港…海風が強いから、だと始めは思っていた。「船、乗ってた人…結構多かったんだね」と騒がしい港を見ながら髪を弄る仕草。そう、風が強いから髪を押えているのかと。
 目線は港。大きな荷物を抱える人、船に乗っていた誰かを迎えに来た人。長旅に身体を伸ばす人。たくさんの人たちを、眺めている。
「…!…(ああ…そういう事か)」
 その仕草を見ていて、ふと思いつく。
「……」
 途端、手首を引かれ「わ!」と小さな声を上げる。支えを失った薄荷色の髪は強い風に流されるまま大げさに浮いた。
「え、何?」
「…妙な気遣いするなよ」
「!…っ な、何が?だって風強いから――」
「……俺は何も言ってないが?気遣いと風がどう繋がる?」
「!」
 くいと片眉を上げながら挑戦的な顔で笑みを浮かべるジョルジュ。それにエスナの表情が固くなる。「しまった」と。
「ふ…、いい。……俺が分からぬと思うなよ、エスナ」
「……――あ。 わ、私は何を言われてもいい、でも」
 押さえていたのは顔の横、つまり耳―――だ。その竜族特有の耳を髪で隠したかったのだろう。仕草を暫く眺めてジョルジュはそう結論付けた。
「ジョルジュが…何か言われるのは嫌…」
 小さく、呟く。
「何を今更。それが嫌だったら俺はここに居ない。…エスナ、お前は堂々としていればいいんだ」
「……」
「それに、お前がそれじゃ、チキみたいな子供は過ごしにくいままだぜ。……お前が変わらなきゃ駄目だろうが」
「……ありがと。…うん」
 いまだ掴まれたままの手首を見下ろし、その手に手を重ねた。

 港から馬を駆り、暫く走らせる。
 背中にぎゅっとしがみ付きながらも、「うわー」だの「すごい」だの「風が気持ちいい」だの、ずっと何か言っていたエスナ。今まで言葉を失っていた同一人物のように思えない程だ。
「舌噛むぜ、降りてから喋っても遅くはないだろ」
「ふふ」
「…やれやれ」
 腰に廻っていた腕が少し力を増して、背に完全に身体を預けてきたのが分かった。そのぬくもりに、口元に笑みを浮かべながら、一路、パレスの城下町・ノルダを目指した。


 ノルダに着いた頃には太陽が真ん中を過ぎていた。
 ジョルジュは「見たい物がある」と前置きしたが、一日の移動ではパレスまで行く事は不可能だったのだとここで漸く理解する。
「…は」
 エスナは目を丸くしながらきょろきょろと辺りを見回した。あまりにもその様子が可笑しくて吹き出してしまう。
「え。なに!?」
「………。ここでも「初めまして」なのかと思ってな。前にも来ただろ」
「だって久しぶりだもん…。でも、前と変わったね!すごく賑やかー」

 ノルダには表と裏の顔がある。
 賑やかな表とは正反対に、身売りされる裏の顔。それもジョルジュが設立した自由騎士団のおかげで段々と影を潜めてはいったが、まだ、根強く残っていた。
 食堂に入るつもりでいたのだが、エスナは「市場で買いたい」と言い出し、市場で適当に食べ物を探す。
「エスナ。まだ身売りもいるからな、気をつけろ」
「ん。…それでも減った?」
 ちら、と細い路地に目をやり、それから見上げ、ジョルジュに視線を止めた。
「一時期よりはな…。 …さて」
「ああ、何か買うんでしょ?何買うの?みんなへのお土産?」

「……。…お前の服だよ」
「はい?」
「神殿の格好のまま、って訳にもいかないぜ」
 言われ、改めてその服を見る。
 神竜族の司祭のその姿は、普通の司祭が纏うローブとは違い、何処か神々しく浮世離れした姿。服だけを見ていても複雑な文様だと思ったが、こうして纏っているとさらに際立つ。
「…あ、なるほどー。でも別に私このままでも」

「………」
「うん、ジョルジュが困るわけね?」
「困りはしないが、裾が邪魔そうだな。お前、耳を気にするよりそっちを気にした方がいいんじゃないか?…いつか引っ掛けて切るぜ」
「あ…」
 言われ、自然、視線が裾に行く。
 引き摺る長さのそれは、今は汚れないように小さく結われていた。それに、裾を持っているため、常に片手は塞がっている様子だ。
「! ……あはは。確かに。 でも、あれ?買ってくれるの?ふふ」
「ああ」
「え!? いいの!? あ、ありがと…」
「ああ、だからいいって言ってる」


 くるり、と廻ってみせる。
 相当嬉しいのか、にこにこしながら他の市場を覗いていた。
 ノルダには小さな市場が点在している。あちらの通りは日用品、こちらの通りは野菜や果物、そのまた向こうは骨董品――――といった具合だ。
「ね、なんだかみんなでいた頃を思い出すね」
 淡く優しい色合いのストールをひらひらさせながらまた、回った。今までと比べると遥かに軽装だが、とても嬉しいようだ。
 服のおかげで両手が空くようになった、その手には裾と代わってパレスの皆への土産入りの袋が抱かれていた。
「?」
「こうやって町に出た事もあったじゃない?ふふ、レナ姉さんは薬草買ったりしてた。 それから―――」
「………」
「……時間、流れたね」
「懐かしいか?」
「だね、 ……ジョルジュ!」
「あん?」
 振り向くと、ストールを押さえていた手が妙な格好で宙を彷徨っている。

「…こっ、これから、…宜しくね…!」
「ああ、こちらこそ、宜しくな」
「ん…!」
 言いながら手を差し伸べる。その手に触れ、それから握る。強く。

 手を解くと、今度は腕を差し出した。
「っ?」
「どうぞ、組みたいんだろ?」
「え!?」
「…エスナ、もたもたしている方が恥ずかしいとは思わないか?」
 そして、顔も妙ににやけている。という言葉は飲み込んで。
 何度か袖やマントを掴もうと手を伸ばして来ていたのは知っている。ジョルジュはそうされるまで待っていたのだが、これでは恐らくいつまで経っても実行されないだろう。最も、人ごみに行けば掴むのだろうが流石にそこまでする意味がない。
「……。あ… うん」
 そろそろと手を伸ばし、その腕を掴む。それから自らの身体の前できゅ、と抱きしめるようにジョルジュの腕を抱えた。

「嘘みたい…。こんなの」
「全く、昨日から聞いていれば、俺が嫌うと思っただの、種の違いだの。…よくそんなに問題提起ができるもんだと感心するよ」
「……」
 明るい街を歩き出す。
 ゆっくりと。
「…思い込みも困ったもんだぜ。……やれやれ、本当に面倒な女に惚れたな」
「っ、じゃ、じゃあ今からやめればいいじゃな…! ん」

 離れようとする腕を許さず、抗議の顔で見上げたそれに顔を近づけて、目線を合わせる。
「ほんとに売り言葉に買い言葉だな。 やめられるかよ。…ずっと見続けてきてこうなっちまったんだ。責任取れよ。勝手に離れるな」
「……っ」
「…いつか言ったな。メニディの人間は、という話し。………。勝者を違えない」
「!」
「俺がお前を選んだ事は決して間違ってはいないぜ。ふん、あれだけ嫌った話だがな、この際何でも使わせてもらう」
「ジョルジュ…」

 ――――そうだ、それでお前が少しでも気が軽くなるのなら。
「…だから、安心しろ」
「…ん…」


「ありがと…ジョルジュ」





ドラマCD3の冒頭部分のマルス様とシーダの買い物風景らしく。

最後の行あたりは付け加えですが、
だけまたもや「新」のネタでしたっけー!?(覚えてないのか! …ja…)
…だった気がするんだ、それかクロニクル。
ホント、SFC版以外の記憶が定かではないのですが(汗)。

エスナっておしとやかなタイプじゃ絶対ないわーないわー。と思いました。
髪が長いからか(?)結構おしとやかな性格のキャラをイメージしてました、
…というコメントを頂いたのですけども。
神竜の司祭のローブってどんなでしょうね?勝手にインデックスが浮んだのですが(白と金)、
あれをゴテゴテにした感じでしょうか…。

余談ですが、市場散策大好きです。市場ばかり行くので好きな都市の市場は大体把握してます。
市場といえば5巻ジョルジュはなんであんなにリンゴを…(以下略)。

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