9:都を眺める



 広場の一角。噴水の水がきらきらと輝いている。恐らく戦時中に壊されたのだろう、水を噴出す像の幾つかは真っ白で新しい。
 勿論この像だけではない。街の至る所で今だ修復中の足場などが掛っている。

「――――で?」
 木の下の手摺に身体を預け。少し仰け反りながら切り出した。空が見える。柔らかな風が吹き抜ける。
 広場で食事を楽しむ者たち、噴水に手を突っ込んできゃあきゃあと遊ぶ子供たち。そんな明るい声がこちらまで響いてくるから、エスナはすっかりそちらに気を取られていた。
 だから、「あれ、何か聞き逃した!?」と隣を見上げた。
「何?」
「お前はどうなんだ?気がつけば、俺の身体だ家だの心配ばかりしてるが」
「……?」
 言われている意味が分からず、首を傾げる。
「お前の気持ちはどうなんだ、ということだよ。 お前の意思も考えずに無理矢理連れて来ちまったのか、俺は。それは流石にまずいだろ?」
「はい!? い、言ったじゃない…。あまり何度も言わせないで」
「…聞こえなかったし覚えてない。ああ、昨晩は酔っていたからな」
「ええ!?そこでそれ言う!?酷い!というか!その前も言った!!」
「ああ、好きか嫌いかは聞いたな」
「じゃあいいじゃないっ!?」

「好きか嫌いか、なんてガキでも言えるだろ。俺についてくるかどうかの話だ。こちらにはお前を迎える用意はある。…だからだよ、このアカネイアの地で聞きたい…。俺の傍に居るか否か。お前は俺と共に家を守っていく気持ちがあるのか」
「! ――――〜…」
 長い耳の先が、くいと下がる。
「…もう一度しか言わないからちゃんと聞いててよ、このバカっ」
「ああ」

「…あのね、戦争が終わって、すぐにラーマンに引っ込んだのも、ホントはジョルジュを忘れたかったのもあった…。もっと準備してとか、いろいろ相談してー…なんて考えたくなかった…」
「……」

 握った手にぎゅ、と力が入る。

「……気がついたら、ああ、みんないなくなっちゃったんだなぁって…。それで良かった…」
 とくん、と胸が痛む。
 視界が少しぼやける。
 それは「いなくなった」事を考えてだろうか。
「半端に目醒めてて、いつかジョルジュの傍にいる女の人とか、そういう情報来たら、私、多分嫌な思いするって、じゃあ知らない方がいいからって。 …あは、使命なんてカッコいい事言って、蓋を開ければこれだよ?自分の事ばっかり、バカみたい…」

 ――――いつか現われるであろう「ジョルジュの隣に居る人」そんな知らない人に嫉妬して。その人はチキが成長していく姿も多分見る事が出来て。
 …絶対に耐えられない、大陸の何処に居てもきっと耳に入ってくる。そんな情報に振り回され、いやだと頭を抱えて震える自分が容易に想像できる。

 だから、封じようと思った。

 この時代が「歴史の中の1つ」になるまで。
 そうなったら、きっともう大丈夫だろうから。「あの時は楽しかった、良い人が居たね」と綺麗な思い出だけ抱えられるから。居なくなった人たちを悲しむ事もないくらい、遠い時代で生きようと思った。

「……ッ。ね、こんなんで盾守るとか、……笑っちゃうよね…」
 手をきゅっと握り、目の前の明るい光景たちをぼやけた視界で眺め、耐えきれず目を閉じる。
 遅れて、陽光に煌めくものがひとつ、ふたつ、零れていった。
「………」
 震える肩に延ばされる腕。だが触れず。ジョルジュはそのまま手を下してしまう。
 だから、気付かず、続ける。
「だからガトー様に盾の守護をさせて下さいってお願いしたの。私が生きているうちは、チキが成長しきるまでは絶対壊させないから…って。――――ねえ…」
 小さく息をつき、目線を上げ、隣へ。
「ん?」
「ほんと嬉しいんだよ、私。…今の時を知らないままよりはずっと幸せだと思う」
 そう言って微笑んだ顔は決して無理をしている顔ではない。
「だから、…傍に居たい…。ジョルジュが守るものを、私も一緒に守っていきたい。 ここに居させて…」
「…ああ」
 触れるのを待つように、ジョルジュは腕を差し出した。それは先程、触れずに下した腕だ。それに戸惑うような仕草を見せたが、間を置いて、ゆっくりと影が一つになる。
「…ありがと…ジョルジュ」
 大きく息が流れる、ふぅ、と肩の力が緩まる。
 エスナのその表情と声音にジョルジュは笑い、柔らかい頬に手を当てた。






 パレス攻略戦の折に使用したアカネイア貴族の別荘。
 こちらに到着したのは夕暮れ時だった。

 ――――名ばかりはアカネイアの王族は居なくなった事にはなっているが、マルスの采配でほぼ、国としての機能は残されていた。
 それはそこに暮らす人たちを思っての事。そして、ジョルジュやミディアらアカネイアの貴族を信用しての事だった。
 アリティアはアカネイアに仕えていた国だ。国位を覆してはならないとも感じたのであろう。長い年月で結果的に「そうなった」のならば仕方がない。だが、たかが数十人、数百人の意見で大陸全土の運命を変えてしまうのは良しとはしなかった。
 皆の地を、アカネイア大陸を揺るがしてはならない。

 つまり、今のパレスは以前と変わらず、国を動かしている機関ではある。
 もっとも、「以前よりは」民衆のものになったようだが。

「―――これが、あの戦の後のアカネイアだ」

 息をつき、食後の紅茶のカップを傾けた。話しに歯止めがつかなかったのだろう、その中身は既に冷たくなっていた。
 英雄戦争後からの国々の変遷を簡単に説明する。それは全く外に出ていなかったエスナの望みであった。
「なるほどー、要するに…少しの混乱はしょうがないけど、あまり変わってないんだね」
「簡単に言ってくれるな。まぁ、実も蓋もない言い方をすればそうだとも言えるし、そうでもないとも言えるか。なんにせよ今だ手探り状態ではあるが」
「あ、でも街に住む人は住み易くなったかな。…しっかし、五大貴族以外は結構まっさらにされたって、それ、大丈夫なの?」
「…毎日舞踏会で飽きもせずにくるくる廻っていた奴らだぜ?…俺が知るかよ」
 興味ない、を貼り付けたような顔で答える。
 その様子から察するに良い思い出がないのだろう。取り繕う事もしないジョルジュにエスナはくすくすと笑った。
「ふふ、あまりそういうところ好きじゃないんだ?」
「…好きに聞こえるか?だとしたらオメデタイな」
 呆れ返った目を向けられても、エスナは笑みは崩さなかった。
「いーえ。私はそういうの知らないから、想像でしかないけどね」
 そして、無理に取り繕わない、素を見せるジョルジュの態度が嬉しいように、また笑う。

「……。ま、貴族と言っても、実は二度の戦でパレスが陥ちた時にかなりの数の家が滅んでいるんだ。二度目の戦の時は誰に、何処につくかで大分混乱したようだしな…」
「そっか…」
「………。そんな顔をするな。戦なんてそんなものだ」
 そう言うが、「陥ちた時、かなり滅んでいる」を自分で言っておきながら、拳を握り締めている。
 屍と引き換えに――――、などとわかっているのだが、やはり割り切れないようだ。
 エスナはそっとその手に触れた。
「………」
「…は。俺も変わったな。……マルス王子の理想主義が伝染したか」
 触れられている手が少し強くなったのを感じ、苦笑する。
 それから、気持ちを切り替えるように息をついた。

「――しかし、マルス王子…いや、王も全く欲がないな。望めは全てアリティアになるというのに」
「ふふ、そうだね。そういうところ〜アンリにそっくり。…なんて他の人には言わないでよ?」
「へぇ、…本当に生き字引だな。まるで昨日会った友達みたいに言う」
「何それ、褒めてんの?」
「そういう事にしておけ」
「…でも、アカネイアの上の人がいなくてよく大丈夫だね」

「ああ、生き残りの王族もニーナ様ただ一人だったからな。その後も混乱はあってもどうにかやっていた。まあ、平たく言ってしまえば上の人間がいなくなってもなんとかなる、と言うことだ。…何の身分でも国を動かすのは結局は人なんだからな」
「………。ニーナ様、何処に行かれたかわからないんでしょ?」
 その問いに、こくり、頷いて窓の外を見やる。
「マルス王に全てを託す、と、書状を残して」
 テーブルを離れ、その窓辺に近付いて空を見上げた。
 夕方の空だ。
 ところどころに浮いている黒い小さな影は住処に急ぐ鳥たちだろうか。

「……ジョルジュ」
 肩に何かが当たる。ジョルジュはそのまま動かず言葉を待った。
「私、ニーナ様に言ったの。封印の盾はアカネイアが言う呪いなんてないって。あれは守りの盾。…だから、大丈夫ですよって」

 あの戦争の後、数日にも及ぶ宴が開かれた。
 混乱とも形容できる宴の中で数名、風のように姿を消した者たちがいた。その中にアカネイア王女のニーナもあった。
 …そういえば、とジョルジュは思い出す。
 宴の数日後、各国の者たちを集めて数度、会議があった(その最中、エスナはジョルジュを始め、三種の神器を持つ者を訪ねた後、ラーマンに消えたのだが)。
 …――――そうか、宴の時にエスナを見かけなかった理由は、ニーナら伝えたい事がある者たち探しをしていたからなのか、と。

「…そしたらね、笑ってくれた」
 泣く前のように顔を歪め、それから微笑んだ。ニーナはエスナの頬に手を当て、『幸せになってね』とそう言って去って行った。その様子を思い出し、また、手が強くなる。
「そうか。……! …ああ、だから、か」
 何か思いついたように、ぽつりと言う。疑問符が浮ぶエスナに「憶測だが」と前置きして。
「竜族と人の歴史を知った上で、神竜のお前がそう言ったんだ。竜族に赦されたと思う事が出来たんだな、ニーナ様は。……だから、全てを託して去ることが出来た。ま、想像に過ぎないが…」

 ニーナがマルスに全て託して消えた――と言う事をジョルジュは多少疑問に感じていたのだ。
 アカネイア王女のニーナの事はそれこそ幼い頃から知っている。責任感が強く、また優しい姫だった。そんな彼女に憧れていた。だから、疑問だったのだ。…――だが、もし自分の想像の通りならば、(疑問は残るにせよ)「まだ」説明はつく。
 アカネイアの人間として、ジョルジュはそう願わずにはいられなかった。その微笑みを見たわけではないが、きっと荷が下りたような表情であった…と願いたい。ハーディンやあの戦の戦死者を弔いながらでも、どうか、幸せになって欲しいと。

「……」
「…そっか。…良く、なればいいね。今度こそ」
「ああ…」
 ゆっくりと振り向き、すぐ近くにいるエスナの身体、肩を引き寄せる。
「!」
「なんだよ、それだけじゃないって顔だぜ?」
「…っ」
 何か感じ取られたのだろうか?頬に手を当てながら息を止める。

「……愛している、エスナ」

「!? はい!?」
「ぶ、…はは!!なんだその顔は」
「だって、そんないきなり」
「何を驚く事があるんだ。…そのままだろ」
 あまりといえばあまりのお約束の反応に、やれやれと眉をくいと上げながら息をついてしまう。
「突然…だもん、驚くよ。だってジョルジュってそういうの言わない人かと思ってたし」
「…ふぅん、ま、今までそう伝える奴がいなかったんだ。…言わんだろうな」
「……そ、そう…」
 口の中で呟くように小さな声で。
 少し目線を下げて、ジョルジュの向こう側に見える窓を見る。とにかく、どうにもこうにも視線が合わせられない。
 仕方ないじゃない!?エスナは心の中で叫んだ。たった少し前までジョルジュはニーナを見ていた。…のだと思っていたのだから。
 誰とでも話すことができるジョルジュだが、だからと言って浮いた話があったわけではない。その目は真っ直ぐとニーナしか映していなかったのだ。
 全てはニーナとアカネイアの為。
「(あ!?だからだ…!?…「それだけじゃないって顔」って…!?)」
 自己完結して益々視線が上げられなくなる。
「……おい、面白い顔して何考えてるんだ」
「…いや、その…ぉ」
 降ってきたからかうような声に、答えながらも窓枠の向こうにいまだに視線がある。

 橙色の夕暮れは段々と闇の衣を纏い、辺りは暗くなってゆく。

 彼らの部屋も光が届かなくなって。
「でも、…わ、わた、私も…」

「―――…ねえ、ずっと、…ずっと傍に居させてね」
 おずおずと目線を戻しながら、すぐに蒼い深い瞳と視線が混ざった。
「……」
 「ずっと」その言葉は搾り出すような声音。かた、と震えるエスナの肩をゆるやかに撫でる。「わかっている」の言葉の代わりに。
「あ―――…」
 そのまま自然と寄り添い、互いに腕を回した。
「(愛している、か)」
 腕の中、服越しでもわかる柔らかい身体を感じながら思う。
 こんな言葉も、こんな行動も、誰かに対して出来る様になるとは思っていなかった。だから「言わない人だと思っていた」は正解と言えるだろう。
 …だが驚くほど素直に求め、動く身体。そしてそれは多分、ラーマン神殿に迎えに行こうと決心してから始まっていたのだ。
 意識せず、く、と手が強くなり。それを受けてエスナの身体がぴくんと動いた。
「………っ」
「?」
「あー…、私、今寿命来てもいいや。もう1500年も生きたんだもん、今終わってもいい」
「そいつは困るな。…俺の隣にいる女を俺から奪うつもりか?」
「!…。あは…。ん、…守るって約束したもんね……大丈夫、今の時間を手放したりしないよ」


「…絶対に」





アカネイアのその後、は……人によって色々考えありそうですからね、
「こんな感じかも」程度にご覧下さい。
アカネイア貴族の別荘は5巻に出てたやつ。多分。

エスナが守るってよく言ってますが、どうやって守るのでしょうかね、
とかつっこんではいけない。

ところで割とジョルジュがべらべら喋ってますけども……この方、結構口数多いよね?
ほら、ナバールと比べたら(比べる相手間違ってます。)

挿絵

 NEXT TOP