10:温もり



「…あのね」

 家々や街灯に明りが灯る。
 火で作られた灯りは、不規則に揺らめきながら辺りを柔らかく照らしていた。
 部屋の中は真っ暗だったのだが、その光と月明かりで互いの顔がわかる程度には明りが届く。

 暫く無言で寄り添っていたが、ぽつり、とエスナは声を漏らした。
「なんでかなぁ。元々誰に対してもそうだけど、私にもやけに気にかけてくれてたじゃない…?あと、前の戦争が終わった後にもカダインにも来てくれて」
「……。随分と昔の話を引っ張り出してきたな。…最初はただのおせっかいさ。だが、そのうちに、な。…下心アリになったのはいつからだったか。…そういうお前だってやたらと登場してなかったか」
「ふふ」
 ジョルジュの軽口にくすくすと笑う。その声を聞いていると途端、意地悪がしたくなってきた。

「―――ひゃああっ!?」
「…随分な反応だな。いや、今までを見ていれば、…当然か」
 長い耳。それに舌先をつけ、咥えながら息をつく。
「ん、ぁ…ッ!」
 しゃらん、と耳の飾りが鳴った。
「へえ、ちゃんと感覚あるのな」
「あ、ったりまえでしょ!!ただちょっと長いだけだもん!……も、もう!!」
 濡れた耳先が空気に触れ、熱を持った場所が今度はひやりとする、その温度差に益々顔全体、いや、身の内から火をつけられたように熱くなってしまう。

 どん、と胸に手を付き距離を取る。そのままどすどすと灯りの方へ向い、燈した。
 途端、橙色の温かい光が部屋を覆う。
「やれやれ、この程度できゃあきゃあ言ってるようじゃ、ほんっとにこの先思いやられるぜ」
「〜っ! と、ところで!この先って言えば、これからどうするの」
「あん?」
「流石に今日はここに泊まるんだよね。明日は〜…いよいよパレス?」
「ああ」
「チキ、大きくなった?」
「なんだ今更。何度聞くんだ?……人に聞くな。自分で見て確かめろよ」
「ふふ、あー…早く会いたいなぁ…」

 椅子に掛けて、窓の外を見やる。先程よりも多く、強くなった街の灯りに自然、頬が緩んでいく。
「……。俺と二人じゃ場が持たない、か?」
 苦笑しながら、わざと意地悪を言う。
「そうじゃな…―――」
 いつの間に近くに来ていたのか、椅子の背もたれに手を付き、見下ろされている。
 エスナは振り向いた先に直ぐにあったジョルジュの顔に思わず言葉を止めてしまった。

「…そうじゃないよ」
 もう一度、言い直す。
 長い金の前髪が顔に落ちてくる程、息がかかる程、近く。
 赤みが差してくる頬にジョルジュは苦笑した。
「まずいんじゃないのか?…」
「え?」
「そんな顔をしてると襲うぜ…?」
 耳と頬の横を流れる薄荷色の髪を指に取り、唇を付ける。
「…無言は肯定と取るが…?」
「! ……あ、ああ…の!」

「――――」
 近付いてきた顔に、きゅっと目を閉じる。縮こまる肩に手を置かれ、まずは耳元に口付けられる。
「あ…ジョル…っ! ん」
「…人の名前、妙な所で区切るなよ」
「! ジョルジュ…っ  え ―――ッ!」
 意識が「名前」に逸れた隙に唇を重ねる。最初は触れるだけ、しかし、少しずつ深さを増し。震えに似た感覚が背を駆け、硬直してしまうそのエスナの身体を撫でながらも逃れられないように。
「ん、 あっ」
 逃げていた舌。それが暫くして差し出されるように。いや、押し返そうとしたのかもしれないが、ジョルジュにとってはそれは関係なかった。
「っ…!」
 きゅ、と服を掴んでくる手。不器用ながらも受け入れられると知ると、ジョルジュはさらに行為を深くした。途端、ガタ!と大きな音が鳴った。椅子が倒れた音だ。それと一緒に滑り落ちる身体を支えたのは逞しい腕。背を支え直し、それから頭へと。
「っ!…は」
 二人分の短い息遣いが耳に届く度、羞恥を感じるのだが、それより求められることが嬉しくてジョルジュに腕を回した。そのまま押されるようにエスナはテーブルに身体を預け、身体の力を失ってゆく。

「ふ…」
「っ バカ…」
 よろけ、顔を真っ赤にしながら、どうにか身体を起こす。
 高鳴る胸と荒い呼吸を沈めたくて胸元に手を当てて肩を縮める。肩から胸へ落ちる髪に指先が触れると、くしゃ、と掴んで絡める。
「…っ」
「は……もっと色気のあること言えるようになれよ。ま、そうされたら今度はこっちが驚いちまうがな」
 口元を手の甲で拭いながら、笑う。「このあたりにしないと、止められなくなる」と自制の意味で一度息をついた。だが、目線を渡せば、潤んだ瞳に上気した頬、髪を弄る仕草―――それが間近にあるのだ。そう軽い言葉でも言っていないと「やっていられない」のだ。
「っ…む」
「おや、ご不満、か?俺はそのままでいい、って褒めてるんだぜ?」
 いまだ艶やかな唇に誘われるようにもう一度、舌先を付ける。
「んっ! 何処をどうしたら褒めてるになるのよ…!」
 未だ指に髪を絡めながら、つん、と顔を背けたその仕草が面白くて、そして、
「…全く」

 愛しいと思って。目を細めながら頭をくしゃくしゃと撫でる。
 まさかこんな風に自分がなるなんてな。と、己の中の感情を整理しきれないところもあり、ジョルジュは苦笑してしまう。
「…? ジョルジュ?」
 髪と髪飾りが乱され、手で撫で付けながら、言葉を止めてしまったジョルジュを見上げる。
「…全く、馬鹿だと思ったんだよ」
「え、私が?」
「さぁな、お前が自分で馬鹿だと思ってるならそうなんじゃないのか?」
 まさか自分がこんな風に
「(浮かれるなんてな…)」
「……む。 …って、何?」
「…っ」
 見上げるエスナの頭を手で軽く押さえる。
 顔が熱い。これはきっと見られた顔をしていない。だが、仕方ないではないかと思う。
「ちょっ、…ジョルジュっ…!」
「……」
 それでもわたわたと顔を上げようとするエスナの抵抗に負け、漸く目線が合った。
「!(うそ、真っ赤だ…)」
「……ち、見てるなよ。見世物じゃないぜ」
 言われて、今度はエスナも再度頬が上気していくのを感じる。
「う…れしいかも、私…」
「…へえ、そういうお前は面白い顔だな。悪い気はしない…」
「お互い様じゃない…っ」

 ふいにその身体に腕を伸ばし、おずおずと抱きついた。
「……どうした?甘えたいお年頃じゃあるまいし」
 からかうような声が上から降ってくる。
「……ふふ」
「やれやれ。…しかし、――――なぁ?エスナ…俺だって止められなくなるぜ…?」
「!」
 低く、少し掠れた声に。何故か、かた、と震える。

 見上げると視線が混ざった。
 灯りにゆらゆらと揺れる影、瞳の光り。
 エスナは目を細めて、微笑む。
「…あのね。…誰かに対して…私、こんな風に思った事も、なくて…」
「……」
 同じことを思ったな、とジョルジュは息交じりに笑う。
 ぎゅ、と強くなる腕に互いの体温が溶けていく。そっと、ジョルジュもその背に腕を回した。
「ジョルジュが…他でもない私を迎えに来てくれて、…こうやって、してくれて」
「――――…じゃ、俺が最初で…最後か?」
 耳元で囁く声にびくんと肩が揺れる。そして遅れて、こく、と頷いた。
「…なら、エスナ。俺に全て寄越せ。お前も…お前の後ろにあるものも、全てだ。船で約束しただろ」
 再度、目を合わせると、真剣な目。真っ直ぐに向けられる視線は曇りがない。
「だい、じょうぶ…?」
「はっ、何を今更。お前が背負えるモノが俺が出来ぬ訳がない。…甘く見るなよ」
「っ…。…あの!実は…、昔、ものすごい昔だけど、聞いたことがあって。…ガトー様はね…人と竜の力を受け継いだ人が結ばれた事あるって。…長い歴史の中ではあったって。…でも!」
「昔話なんてどうでもいいさ」
 しどろもどろに言うエスナに遮る。
「…これから調べようとしてもそれ以上の事は何もないぜ。それに俺やエスナはそいつらじゃない。……そんな事より、俺はお前を…」
「ふっ、…ジョル…―――」
 篭ったような声になって、ジョルジュは腕を緩め、顔を覗きこむ。薄荷色の瞳が揺れ、ぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちていた。
 指先で拭ってやると、逆に勢いを増し、しゃくりあげるように。
「……エスナ」
「ごめっ、…嬉し……て。 私、支えられるように…なるから」
「ああ、期待しておく」


 ジョルジュはそのまま、部屋の隅にある大きなソファに掛け、エスナを膝の上に抱くように。
 互いに腕をしっかりと回しながら、言葉なく、ずっと、寄り添っていた。
「(声も、泣き方も忘れていたんだから…今は泣けばいいさ…)」
 そ、と撫でながら見下ろすと、目を閉じたままの顔が微かな灯りにぼうっと照らされている。目元は真っ赤に腫れ、頬には未だ涙の跡が残っていた。起こさぬようにそっと指でその跡を辿る。声を上げ、まるで子供――いや、子供以上に泣いた。
「(寝たか…?疲れるまで泣くのは久々だろうな)」
 ふと、その顔を見ながら思い出す。エスナは「もっと相談してとか、準備してなんて考えなかった」と言っていた。
「(だから、か)」

 ジョルジュは舌打ちする。
 ラーマン神殿の内部は先の戦で荒らされたが、流石にその部分は簡易的にでも修復されていた。だがそこではない。「数百年単位の術を使う」のに、エスナの周りはあっけないほど何もなかったのだった。
 いや、魔道の世界の事などわからない。もしかしたら身一つでも出来るのかもしれない。だが、薄暗い神殿の中、モザイクが敷かれた床にただ膝立ちしているだけの殺風景な様子に、妙に心臓が騒いだのだった。
 髪は伸びるだけそのまま流し、喋る事が好きなのに声を忘れ。目は光を宿さず。けれども「誰にとってもそれが一番いい事なんだ」と自分を騙していた。
 ある意味それは「自棄になっている」と言ってもいい姿。
「……」
 ラーマン神殿で感じた違和感。自分の意思で動かないエスナ。
 自分にとっても、この時代に目を覚ましたくなかった、と言う事だろうか。


「…俺を守ってくれると言ったな、…なら、もう…いなくなるなんて言うなよ。手に入れたものが消えるのはごめんだぜ…」
 そう急いてまで忘れたかった。つまり、想いが強かった。
 互いにそう思うのなら尚更だ。この気持ちを、癒しを手放しなんてするものか――――。

 とくん、と胸が跳ねる。
 身の内が熱くなる。

「守るなんて随分と偉くなったと思ったが、…ふ、それもいいか…」
「………」
 こく、と頭が揺れ、起きているのかと顔を覗き込む。相変わらず目は閉じたままだが、微笑んでいるかのように見えた。
「忙しい奴だな、泣いたと思ったらもう笑っているのか…。ふ…」
 思わず、笑みが伝染してしまう。
「…だが、いい。……安心して弱くなっていろ。…もう、気を張ることなんてない…」
 受け止めてやる、とあの時言った。
「……」
 起こさぬように手を伸ばして椅子にかかったままのマントを手繰り寄せ、その身体にかけてやった。
 そうして、エスナの首筋に顔を埋めるようにして、目を閉じた。





竜の力を受け継いだ人。…聖戦の系譜の方々?
いや、竜じゃないし。レヴィンはなんだか特殊のようですが。
でも、だとしてもエスナにとっては「すごく昔に聞いた話」のレベルなので曖昧すぎてよく分からないのです。

しかし、二人して寝違えるなぁ…と思ったんですが、そういうことは言っちゃいけないですよね。

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