11:教会の鐘



 東の空から、淡い桃色の光が射す。
 りーん、ごーん、と朝を告げる教会の鐘の音が響く。
 建物が光に照らされ、町が色を変えてゆく――――。

「…気は済んだか?」
 目元に人差し指を当てる、その動作。遠回しに赤い目を指摘され、「ええ?まだ!?」と声を上げた。
「ま、気にはならない程度だが――――」
「うわ!! 待って!もう一回顔洗ってくるから…!!」
「……。まだ洗うのかよ。すり減るぜ」
「もう、すり減らないってば!!」
 ぱたぱたと忙しく洗面台に走っていく姿に笑いを堪えながら、窓を開けた。


 りーん…ごーん… ーん…
「……」
 なんとなく鐘の音を数えながら腕を窓枠に預け、腰の懐中時計をかちりと開けた。――刻を告げる鐘の音と少しずれている。ジョルジュは慣れた様子でネジを巻き、針を直した。
 朝食の時間は少し廻っている。
「……市で買うのがいいのか、やっぱり」
 隣りに気配を感じて。
「朝ごはんでしょ、うん。町が見たいし!おいしそうなお店、昨日あったじゃない?」
「へえ、…全くそういうのには目敏いな」
「褒め言葉として受け取っておく!ふふ、……あー、でも、ジョルジュはそれでもいい?」
「なんでも、とりあえずは食えればいい。そのうまそうな店とやらに案内してもらおうか」
 窓の外、市場の方向を眺める。ここからは勿論市は見えないが、そちらに向かう人だろうか、大きな籠を持っていたり、荷を転がしている人が目に映る。
 それを眼下に、ばさばさと羽の音と共に鳥が朝日を浴びて飛び去って行った。
「ん!ふふー、じゃ決定!あぁ〜!鐘の音が綺麗…!」
 窓を全開まで開け、身を乗り出す。
 薄い橙とも、桃色とも言えない空の色。
「………」
「ね、じゃあそろそろ行きましょうか!?」





 驚かせようと、彼の帰還を知らされていなかった少女は、遠く、馬の姿をバルコニーから認めると「帰ってきた!」と、階段の手摺を滑り台のようにして滑って降りて来て。転げるように駆けってくる。

「チキ、元気そうだな。いい子にしてたか」
「うん!ジョルジュのお兄ちゃん!!おかえ…!! …っ!?」
 近くまで来て、その馬にもう一人乗っている事に気が付く。髪とスカートの裾がはためく。
「―――と、ほら、肩に手置け。下ろしてやるから…」
「う、うん…」
 馬から降ろしてもらった、その人。チキの低い視界に全てが収まった時、声にならない声を発し。
「――――〜!!エス…」
「…チキ!」
 一方、笑顔だが(少しぎこちない)、何を言ったらいいのか分からず、名前しか呼べないエスナ。
「…ナ……あ…うぁ」
「チキ…?」

 その姿を視界いっぱいに映し、口がぱくぱくと動く。途端、大きな緑色の瞳が揺れ、ぼろぼろと零れる雫は地面に丸く落ちる。
「え、チキ!?どっか痛いの!?」
「う うぁああん!!エスナおねえちゃん!!もう!どこ行ってたの!?」
 その腰に思い切り抱きつき、泣き喚く。スカートは深く皺が刻まれ、涙で濡れてゆく。
「わ! あ…と〜…チキ…?」
「もう、どっかいっちゃだめだよぉ…!!」
「っ! …うん、行かないよ。チキがおっきくなるまで一緒」
 いまだ離れようとしないチキの頭を撫で、二人顔を見合わせる。
「…おい、チキ。帰ってきたって皆に伝えて来てくれないか?」
「! うん!!待ってて!!」
 膝を付き、視線を合わせ涙を拭ってやってから、頭と、高く結った髪を撫でる。
 涙でぐちゃぐちゃになりながらも、笑い、チキはまた元来た道を走り去って行った。大きな声で「みんなー」と呼びながら。

「…は、なんだかどきどきしたー…。チキ、前よりおっきくなってて…。でもあれ?手紙で知らせてあるんじゃなかった?」
 ふと、ラーマン神殿で手紙を書いていたジョルジュを思い出す。
「ふん、…どうせ、驚かせたいだなんだって言って、チキには内緒だったんだろうよ」
 馬の手綱を引きながら、片方の手――腕を差し伸べる。
「…はいっ」
 少しぎこちなくそれに触れながら自分の手を通し、緩やかに歩いて行く。


 ジョルジュの腕に触れる自分の手を見下ろし、エスナは顔が緩むのを止められなかった。
「にやけ顔…。気持ち悪い奴だぜ」
「! …んもう!!見ないでよ…!」
「見ても問題ないだろが。 ――――なぁ、エスナよ」
「ん?」
「…今、あれを見て、どう思った?」
「…あれ……かぁ」
 あれ、と段々と遠くなってゆく小さな身体を見つめる。手をぶんぶんと振り、それはとても楽しそうに見えた。
「………。私、随分我がままだったのかな。結局は自分の事しか考えてなくて」
「…いや、俺は違うと思うがな。それに誰でも自分が可愛いのは仕方ないさ」
「じゃあ…?」
「誰でも、寂しいなんて感情はある筈だ。ない奴がいたらお目にかかりたいもんだぜ」
「(……?)」
 どうも、「チキ」から話題が逸れている気がする。エスナは目線をジョルジュに渡した。

「多分、お前の寂しさは生まれた時からなんだろ。…二人の兄も本当の兄ではない。マケドニアの二人もな」
「……」
「何故、「氷竜神殿の近く」に捨てられたと思う?」
「え? えっと…たまたま…?竜族って居られる場所が限られてるし…」
 今の流れでそれが来るとは思わなかった、と目を丸くする。
「たまたま、ね。…だがそんな簡単なものじゃないだろ」
「…?」
 ジョルジュは一度息をつき、続ける。
「…お前が生まれた時期を考えて、竜族の子供は貴重な筈だ。…簡単に捨てるとは思えない」
 く、と握られている手が強くなって、苦笑した。
「…つまり、周りに子供がいない。もしかしたらお前を育て上げられる程、力が残されていなかったのかもしれない。…野生化寸前とも有り得る。……だから、それでも神竜族が数名居る場所に託した―――というのは、浅はかな考えか?神竜族の赤子ならナーガ王の傍に置いてもらえるだろう、と」
 エスナの首には竜の時代から在るというペンダントが掛かっている。その不思議な色の石を、つつ、と撫でた。
「………!」
「ま、勝手な想像だがな。…お前は捨てられたんじゃない。俺はそう思うぜ」
 腕に廻した手が、するすると伝って降りて。ジョルジュの手に当たる。その大きな手に指を絡め、
「ジョルジュ…―――〜ッ!」
 繋いだ手をそのままに、隣りの肩に額をこすりつけるようにして寄り添う。
「…考えた事なかった。私、ずっと捨てられていたのかと思ってた…。それでもいいって思ってた。でも、それじゃいけなかった…。 ………ありがとう、ジョルジュ…」
「おい、礼を言う相手が間違ってるんじゃないか」
「………。 ん…。…ありがとう…っ」
 見上げた顔は、涙で濡れながらもとても満足そうな笑顔。
 そして空に向かって、礼を言う。

 空に吸い込まれたお礼の言葉。
 カラン、カランと、今度はパレスの中にある時計塔から鐘の音が響いた。
 それと同時に聖堂からの心地良く重い鐘の音も。
「ジョルジュ…、私、ホントは寂しくなんかなかったんだ…勝手にそう思ってただけだったのかも」
「……」
「だって、兄様たちが居たし、マケドニアもマチス兄さんとレナ姉さんが居た。ホントのきょうだいとか関係なかった」
 そこで区切り。
「…今だって―――」
 見上げ、微笑む。
「……ふ」
「ね、だから、寂しいなんて言ったら罰当たっちゃうよ」


 そうして、遠くでまた賑やかな声がする。
「……? ああ、流石に早いな、もう来ちまったか。…ほら」
 涙に濡れる頬を拭ってやり、肩を抱きながらそちらを示す。
「っ。ああ、ほんとだ! …――――おーい!!」
 遠くのチキやリンダに負けないくらい、手をぶんぶんと大きく振って。


「さぁ、騒がしくなるぜ」

 きっと、一番幸せだと思った時間が始まろうとしている――――。





朝、5〜6時くらいのローマが 大 好 き で す 。
あの建物に光が当たるところとか!(冬場はまだまだ暗いですが、秋くらいまではステキ)
教会の鐘とか!
そんな朝の風景を丘の上から見下ろすのがとてつもなく好きです。
あとは公園を散歩。犬構うの好き。

そんな感じ(何)。

エスナが捨てられた理由、どうでしょう(聞くなよ)。

余談ですが、この小説で450ファイルみたいです(勿論全部まとめてですが)。
どんだけ書いてるんだこのアホ(笑)。



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