3:l'anello di prete
―――――こつ、こつ。 机上からの音が静かな部屋に響く。それはペンを走らせる音。 「(…こんなものか)」 「エスナを連れて帰る」という内容。数日かかりそうな準備に先駆け、報告だけでもパレスへ送っておこうと言う考えだ。 「(リンダあたりが大騒ぎしそうだな)」 「大騒ぎ」そんな様子が容易に想像出来て思わず苦笑してしまうが、椅子にもたれ、天井が目に入ったところで、は、と息をついた。 「………」 ところどころ剥げ落ちてはいるが、見事なフレスコ画の天井。竜か人の神話かは分らないが、絵として残っている部分は鮮やかな色だ。 しかし、おそらく、それを見る者も居なかった。この神殿はかつて戦の舞台となり、現在は意識を捨てた司祭一人しか居なかったのだから。 「………」 ペンを置くと本当に音がない。いや、相変わらず外の雨の音だけは響いては来ているのだが。 こんな所に無期限、居られるのだろうか。 「(後悔はした…十分過ぎるほどな)」 声を失った事、なによりこのような寂しい場所に一人で置いていた事。 「……」 先の戦でこの神殿は盗賊に荒らされた。そして今しがたも。…恐らくはこの1年間、襲撃まがいな事は珍しくなかっただろう。それが現れる度、本人の意識外で身体を動かし、守っていた。 「……は、やれやれ…」 「……―――? なんだ、いるのか?」 少しの間の後、視線の先の扉がそろりと開かれる。 「……っ」 「で、何だ?」 「……!」 両手の上の盆、そこには紅茶が載っていた。ジョルジュがパレスを出る時に持たされた幾つかの荷物の中にあったのだろう。ジョルジュはその荷物をそのままエスナに渡していたのだ。 そして妙なのはジョルジュがこの部屋を借りている身なのに、エスナは何故か遠慮がち。喋れずともぱくぱくと口を開けて何かを伝えようとする。目を合わせ、それから困ったように逸らし、それからまた目線を戻し…を繰り返している。 「……ふ。…ああ」 苦笑しながらその盆を受け取り、エスナを部屋に入れた。
――――合図の鐘が鳴る。その鐘の音で辺りが騒がしくなる。 荷物を受け取る船員、大声で出航の準備を急かす。 遅れてきた客が「乗ります!」「待って!」などと声を上げながら駆けって来る。港はいよいよ活気付き船出の時を待っていた。 やがて、渡り板が外され、どんどん岸が遠ざかってゆく。 これはここ、グルニアからアカネイアへの定期便。あれから数週間経った。 マントが飛ばないように、止め金の飾りをきつく締め直し、髪を片手で押さえ、甲板に立って、何かを思ってた。 「は………」 「何か」そうとしか表現できない程。頭の中で生まれては消えてゆく。 遠い記憶。目を閉じて、波の歌を聞く。 「……? あ」 「おい、あまりうろうろするなよ。迷子になっても知らないぜ」 「もう、酷いなぁ。そんな子供じゃないよ、私」 「はは。 アカネイアから船を呼びたいところだが、それをすると足止め食らうからな」 「うんん…。いいよ、十分」 エスナは笑って見せるが、すぐに真顔に戻った。 準備にかかった日数を二人で過ごした結果、エスナの言葉は完全に回復した。 「言葉を失った」も厳密に言えば「ただ喋っていない時間が長すぎて」というだけの事で、術の副作用ではなかったようだった。最も、声の出し方を思い出させるように(また、症状をはっきりと把握するために)、ジョルジュがよく話題を振ってやったのも回復の理由の一つだが。 床に付き、引き摺る程の長さだった髪も、行動に支障がない程度まで切り揃え、以前のような姿になっている。 「…? どうした」 「なんかいろいろ。昔の事とか、…いろいろ思い出してた。ヘンだよね。ほんとなら思い出せないくらい昔の事なのに」 「………」 困り顔とも笑顔とも、泣き顔ともつかない顔で小さく首を横に振るエスナを、ふ、と目を細めて見やる。 当然、部屋は二つ取ってある。 部屋、と言っても船の――定期便のものだ。大した設備はなく、部屋は狭い。簡素なベッドとサイドテーブル、トランクを載せる台。それに壁に外套を架けるハンガーがついているだけだった。 そのうちの自分の部屋にジョルジュはエスナを連れた。どちらの部屋に入ったのか判別もつかないのだろうか、エスナは今だ俯き、言葉少なかった。 「エスナ」 「何?…」 「…安心しろ」 「?」 思わず目を上げ、そして視線が合うとジョルジュは苦笑する。 「俺はお前の使命なんて何も思ってない」 「!?…… っ」 「なんだよその顔は。悪い方に解釈するなよ。 …人を守る為に神竜だけが使命感にかられるってのはおかしいって事だよ。…遠くに行ったやら、そんなのはパレスに居る奴らは思ってやしない。 ――――さぁ、竜と人、垣根を作ってるのはどちらだ?」 「……」 「少し耳が長いってだけだろ。…千何年生きたか知らんが、俺にはただの司祭の女に見える。リンダやらと変わらずな」 「…っ」 く、とローブ掴む手が力を増す。 堪えるようにまた、視線を下げた。 「でも、ジョルジュ…は、さ」 「あん?」 「……ッ」 ――――あの戦争の最中、 氷竜神殿で明かした「アカネイアの本当の歴史」 「(あんなのアカネイアの人に、ジョルジュに言って……好かれる筈ないじゃない…!)」 何かを言いたいのに、唇だけ微かに動くだけで、言葉にならず、空気の流れにしかならない。 「…あ、…たし」 「(何度そうやって言いたい事を我慢してきた…?お喋り好きなくせにな。馬鹿だな。お前は…)」 震える手を解かれ、何か手に握られる。 エスナは驚いて手を見た。 「…え…?」 握られた硬いものを確かめるより先に、視線を上げる。 「これで、…全て話すようになれよ」 「?」 ゆっくりと指を開く。 きらりと光るもの。それは神話の時代からの紋様が刻印された銀の環。 司祭の指輪の祝福を受け、一度司祭になった者が、もう一度、今度は己の名と祈りの紋様が刻印された指輪を身に付けると、それがお守りになるというのが、カダインに伝わる伝説だ。 カダイン自体歴史は古い場所ではないが、自然、「そういった」類のモノが集まる場所であるから、このような話は少なくない。 ジョルジュは以前、その「伝説」を偶然にも聞いたことがあったのだ。 「あぁ、守りの司祭の指輪? どう、して…?」 「エスナ…」 そう名前を呼ぶ声は少し震えて。 先程までの声ではない。 「俺の一生を使って守らせてほしい。短いって言うなら…。その次もお前にくれてやる。…指輪と共に」 「…………。 !」 深い、薄荷色の瞳が、いつものような透き通った緑でなく、困惑を帯びた色に変わる。 それは言われている意味を理解したから。 「はっ? な、なんで―――…? 私…?」 光の増えた瞳は、瞬きをすれば涙が零れ落ちる程、揺れ。それを我慢するように首を左右に振る。 「エスナ…?」 「あ!……ダメだってば…。私はっ。ごめんッ…!」 つきとばすように腕を突っ張り、距離を取る。唇を噛み、眉を顰め。口が何かを言いたげに動いたが、それより先に足が動いた。 「夜の…海。 ……ちょっと怖い……かな。…ははっ、氷竜神殿の外みたい」 暗い海を眺めて。 白い飛沫が見える。大きな波の音にふるりと震えた。 「氷竜神殿、か…。 ナーガ様、エスナはどうしたらいいんですか…。私はー…ジョルジュが…」 甲板の手摺に両肘を置き、全身を預け、手を開いて銀の環を見つめた。我慢していた雫がぼろぼろと零れてくる。 「返さなきゃ…これ。……私の所に居ちゃ駄目だよ。私の事なんて守らなくていいの。ね、私は強いんだから…一人でも大丈夫なんだよ」 無理やり涙を止めるように、手の甲で目を拭う。 海の強い風が髪とローブをさらっていく。胸元の装飾たちが音を立てながら微かな光を反射させた。 「長く、居るつもり…ないんだ…」 突き飛ばして拒絶のような態度を取ってしまった。一瞬、目を見開いたジョルジュの顔が今更思い出される。 「…っ。 酷い、事した…。心配してくれてるのに…。何してるんだろ…私」 きゅっと肩を縮め、暫くそうしていると、これからどうしたらいいだろうと思い始める。 「(なんて言っていいかわかんないから…、戻れない、し…。やっぱりラーマンに居た方が良かったかな…。バカみたい、ついてきて…。余計、嫌われるような態度取って…)」 肩で息をつき、どうすることもできない時間を過ごす。 ゆらり、背後で影が行動を始める。恐らくしばらくそこに居たのだろう。それはこつ、こつと近寄り。 「ジョル…? ――――あ?」 「お姉さん、一人でしょ? あ、何泣いてんの?」 「!? は?…い、いえ、平気ですッ」 「……ねえ、名前、何て言うの?」 「あ!戻らなくちゃいけないからっ!」 立ち去ろうとするエスナの腕を強引につかみ、エスナを囲む様に欄干を掴んだ。 「人の問いには答えるもんだよ?」 「………」 「どうせ一人なんだろ?」 「! …一人じゃない、戻るから放して!」 エスナのその声も波にかき消され、男はエスナの腕をつかんだまま、甲板を抜け、船室までの廊下を歩き出した。 「放しなさい!痛い目見るよ! 私は――!」 「痛い目ェ?それはどっちの台詞だよ。 …っ、あぁ、その耳、お前、マムクートか…!」 「!? は…」 「耳が長いじいさんを見た事あんだよ。女は見た事なかったけどな」 明るい場所に出たからか、漸くその姿が人と違う事に気がついたらしい。そして、灯の下で晒された顔を見、思わず男の顔に笑みが浮かんだ。人間離れした雰囲気に整った顔つき――――、…十分だと。 「でもま、マムクートでも女は女だ」 「!っ ……あ!」 マムクート、と呼んだ時の目を見て。一瞬、エスナは電撃の魔法を受けたかのような錯覚に陥った。身体は抵抗を忘れ、震える。 「楽しそうな所悪いな」 「!? あ、…ジョル…ジュ…」 「なんだ、テメェは」 「ソレの連れだよ」 廊下の壁に這うむき出しの太い配管に寄りかかり、「ソレ」と目線だけそちらへ。 腕は組んだまま動かず。 「探してくれたのなら礼を言うが…。違うのなら、どうだかな。身の安全は保障できないが?」 相変わらず向けられるのは視線と声だけ。指一本動いていない。その態度に苛立ったのか、男はエスナの拘束を解くとジョルジュに向っていったが――――。 「ふん、…残念な事だな」 「なにを!!」 「あ…!」 その次の瞬間。男はずるりとエスナの足下へ転げた。 「は、やれやれ」 「う…!」 全身の力が抜けたようにへたりと座り込む。 「大丈夫か?」 「は…あぁ。 ……うん…」 がたがたと震える手で自分を抱きしめ、男から少しでも逃れるように身体を引きずった。 「はぁ…。でも、良かった…。 魔法、使いそうになった……」 「………」 膝を付き、目線を合わせる。 「…この、人は」 「ああ、こいつなら心配ない。そのうち起きるだろ。お前は?」 「ん、へーき、…ありがと」 「立てるか?」 「ん…」 そう差し延べられた手を取り、よろよろと立ち上がる。 「この人、どうするの?」 「とりあえずは船のヤツに言っておくか。 ……とにかく部屋に戻ろう。それからだ」 |
お約束発動。 ほら、変な人が出てくるとか。 …余談ですが先日久々に聖戦の系譜やったら、ディアドラはかなりお約束で「これぞFEなのか!」 と…そこ、ツッこむところじゃない。 紋章ってそういうキャラいましたっけ、…居なかったな、攫われるのはいたけども。 漫画では5巻で初登場したジョルジュですが、素手でノルダのおにーさんたちをノシてました! というか、彼はあんなにリンゴを買い込んでどうする気だったのか気になっています。 彼の謎はまだありまして、パレスからなにして逃げたのか…「ジョルジュだから出来た事」 なんだ…?何したのだ…!(身軽、というならトーマスやミディアだって身軽そうですものね) ともかく、買い込んだリンゴはシア姉ちゃんにアップパイでも作ってもらったらいいです(作品違うがな)。 「しさいのゆびわ」はシスターや魔道士が司祭にクラスチェンジする時に使うアイテムですが、 「新」では固定アイテムとしてはなくなっていてちょっと残念でした。 カダインなんてそういう言い伝え好きそうじゃないですかね? そんなわけで、タイトルは「司祭の指輪」 そして髪を切ったってこんな感じかなとか。 NEXT TOP |