春、君と訊く大樹の声


「んっ、ああー…いい天気〜!」
「風が柔らかくなったね。…ほら、山桜」
 示された方角に目をやれば、木々の色に混じってほんわかと淡く色づく山桜があちらこちらに見える。
 そのまま遠く遠くに視線を移せば、白い雪をかぶった青と白の山々。

「わぁー…!」
 吹かれる風に髪と裾を押さえながら、沙那は辺りをぐるりと見回した。
「本当に、風が変わりましたね」
「ふふ。……誰が教えなくとも空気が柔らかくなって、花が咲いて。夏になって秋になって、雪に閉ざされて…また廻る」
 近付き、はたはたと風をはらんで揺れる沙那の着物の袖と羽織の動きをそっと止めた。
「不思議だとは思わない?」
「………。そうですね、考えてみれば不思議な事…」
 もう一度、その言葉を反芻して、「あぁ、本当だ」と呟く。
「ん、私たちもそうして年齢を重ねてきた。何度も何度も季節を巡って、ね」
 髪を押さえている方の手は、袖が肘まで落ちていた。
 謙信は触れている袖から手を離し、その腕を取り。内側の柔らかい部分に唇を寄せ、甘く吸う。
「ひゃっ! けっ…!」
 突然の事に思わず声が上がってしまうが、くすくすと隣りで笑われ、怒る気も失せてしまう。
 それに、謙信に触れられるのは嬉しい。そんな事を思っていると、身体がぽっと熱を帯びた。
「―――〜…っ」
「ほら、城が見えるよ」
 それを知ってか知らぬか、謙信はまた笑みを深め、今度は腕から肩へ指を這わせて引き寄せた。


 ――――城の裏手、とある山の中腹。
 桜の便りがちらほらと舞い込んできた、とある天気が良い日。謙信は沙那を連れ、そこまで上がって来ていた。
 そんなに登っていないが、もう城は小さくなっていて。指で辿りながら「あれが御殿で」「あの辺が井戸で」とどちらともなく話し始める。
 その視線を城下へ渡せば、田畑の用意も見えはじめている。
「(そろそろお忙しい時期なのに…連れて来て下さったんだ…)」
「うん?どうしたの?」
「………。いいえ」
 沙那の微妙な表情の変化に直ぐに気が付くが、沙那は微笑んで、首を横に振り、謙信の肩に頭を摺り寄せた。
 きっと謙信はここで「それ」を言う事を良しとはしないだろう。それに、季節の執務が増えてきた所だ。この今、少しの間でも安らいで欲しかったから。

 それから二人は、一際大きな木の幹に寄りかかり、遠くの山を眺めた。
「気持ちがいいですねー、すごく…」
「ああ、山に囲まれて暮らしているけれど…。こういうのもなんだか新鮮だよね。目を閉じれば木の鼓動も声も聞こえそうだ」
「! あら、聞こえるかもしれませんよ?私と謙信様しかいないんですから喋ってくれるかも」
 笑って、背を付けていた木に今度は耳をつける。
「……聞こえるかい?」
「……。はい」
 目を閉じて、幹に手と耳を当てて微笑む沙那を暫く眺める。
「………」
「この木たちは私が生まれる何十年、何百年も前からこの越後を見ていたんだね」
「はい。………。…あ、その頃のお話、聞いてみましょうか?」
「おや、もう仲良くなったの?」
 肩を小さく揺らしながら、未だ目を開けない沙那に、どこかくすぐったい感覚が心を巡り。我慢がしきれなくなって、そっと睫に触れた。
「? 謙信様?」
 ぴくりと動いた睫と、細く開けられた目。
 頬に触れ、ゆっくりと肌の上を滑らせる。
「ん。………――――木は」
「うん?」
「一年に一度、年輪が増えていくんですよね」
「そうだね」
「同じような季節が巡っているようで、そうじゃないんですね」
「…あぁ」
 木に預けていた身体を離し、足元に目を。そこにはまだ「木」とも言えない小さな木が立っていた。
「…この子はまだ十くらいだろうね。これからどんどん大きくなれば、巡っている、という言い方も少し違うのかな?」
「本当に不思議ですね、当然なのに」
「ふふ…」
 もう一度、触れ、今度はその大きな木の根元に腰を下ろし、身体を再度、幹に預けた。
「楽しそうだね、どうしたの?」
「なんだか、嬉しいんです」
「そうか、…じゃあ、同じだ。さぁ、沙那姫?今度は何が聞こえる…?」
 二人は視線をそのまま上へ真っ直ぐ――――空へ。
 眩しくて目を閉じ、あたたかな光を全身で感じる。
「…静かなのに、たくさん聞こえますね」
「ん…」

 うっすらと閉じた目に、微かに小さな影を感じて目を開けた。
「…ご覧、綺麗だよ」
「あぁー…」
 ひらひらと舞う、春色の花弁や葉。
 枝が揺れ、きらきらと陽光が落ちる。思わず、手を掲げ、光と花弁を受け止めるように。
 舞う桜と同じ色を持つ桃色の羽織は風にさらわれるようにふわりとはためく。
「……沙那姫」
 その手に手を重ね、指を絡めた。
「? …謙―――― っ」
 なんだろうと顔を動かした沙那の言葉を止め。指を絡めたまま、幹に縫い留めるように手を頭上へと。
「そのまま花弁と、羽織と…一緒に舞いそうで、つい」
「あはっ、まあ、私、そんなに軽くありませんよ?」
「おや、またそんな事を言う。…でも大丈夫だ。私がきちんと繋ぎ止めてるから…。この前言ったように、沙那姫の血の一滴だってくれてやらないよ」
「まぁ…」
「髪の毛はね…私と一緒だし、私たちの祈りだから。自然に渡してもいいけど」
「ふふ、はい…」
 手はそのままに、身を少しばかり乗り出し、沙那の顔に影を作る。
「…っ」
 甘い痺れを与えられ、身を微かに捩り、摺り寄せながら、自由になる方の手を謙信の胸へ。

「年輪…」
「?」
「私と君は一つの木、か。…そう考えると――――…」
 大樹に身を任せたまま、傍らの小さな木に目をやる。繋がれた手を握り直し。
 二人の間にそれ以上言葉はなかったが、少しの間の後、続きの言葉が分かったように頷き。
「――――。…ええ、そうですね」
「………。ねえ、沙那姫?」
「はい?」
「………ふ」
「謙信様?」
 笑ったような息使いと、手の平をつつ、と撫でられたから、微笑み混じりに名を口にした。
「いや、…君と一緒になったから、当たり前に過ぎていくであろう事を、不思議で素敵だと思えるのかなって。素晴らしいし有難いね」
「!……っ。 (ああ…、すごく…)」
 優しい目だと思う。それを間近に見られて、感じられて。沙那はその事に今更ながら嬉しくなって、目を細めた。
「…おや、また幸せそうな顔をして…。でも、同じに思ってくれて嬉しいよ」
「ふふ…、はい。謙信様…」
 頬を当てると、春の風も手伝って互いの髪が溶け合う。


「…もう少し、このままでいようか」
「賛成、です」
「気持ちがね、安らいでいくよ…」
 いつもより、ゆったりとした声。
「! …はい。……――あ、謙信様?」
「ん…?」
 心なしか眠そうな目を向けられ、沙那は「ああ、やっぱり」と笑いながら、座り方を改め。膝が平らになるように、と。
「どうぞ」
「! おや。……とても魅力的なお誘いだけどね、…今はいいよ。こんなところで膝を借りたら、痛いでしょう?」
 その膝に手を付き、そっと撫でる。
「っ …わ、私、そんなに弱くないですよ?」
「ははっ、そうじゃないよ。…そう、それは…城に帰ってから、して?」
 声音を落し、少しばかり首を傾げながら言い、続けた。
「今はね、…君と同じものが聞きたいし、見たいから。…一緒に、この木に寄りかかって、桜が舞うのを見よう」
 その代わり、と言わんばかりに、手を、もう一度掴みなおして。
「………。はい」
 春の柔らかい陽光と、互いの温かさに、再び目を閉じて。
 一度、深呼吸をし。二人、身を預けている大樹の声を聞きながら、心地良い体のだるさに少しの間、身を任せるのだった。





お花見にはまだ少し早い時期ですが…。
大きな木に寄りかかって、空を見て、舞う桜の花を眺める。
琵琶を持ち出そうとも思ったのですが、それは次回に。

ちょっと前に書いていて、アップする前に付け加えを繰り返していたらやたらと長くなりました。
桜と春の空気を二人きりで楽しんでみる。
山まで来たのはきっと、五右衛門に邪魔されたくないから(笑)。

なんだか二人して「不思議さん」になっている気がします。
「血の一滴だって」はこちらから。
しかし、謙信様、姫にベタベタですね。今更ながら。大丈夫、ゲームの謙信様もかなりベタベタだ。

挿絵


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