![]()
冬の花弁と君抱く
ぱしゃり、ばしゃん、と水の音と。 湯煙の中には影が二つ、絡み合うように。 「おとなしくしていないと濡れてしまうよ。子ではないのだからじっとして」 左手首を頭上に掲げられている。身体を固定されているわけではないが、身動きが取れない。 「う、んっ…! あッ …け、謙信様っ! だい じょうぶ ですから! ひっ、一人で…!」 「ほら、暴れない」 「で、でも!わ!きゃ!くすぐった…ッ ――やっ ん!」 「傷口が濡れたら痛いし、最悪、化膿してしまう…。ちゃんと指は守ってあげるよ。だから、じっとしていて」 「―――〜ッ…!!」 湯着の袷と手ぬぐいを右手でしっかりと押さえているが、身体を撫でられている感覚はまるで素肌だ。 薄物は身体に張り付き、透けている。 「…力を抜いた方が楽だと思うけど?…ほら、温まらないよ…?」 「じゃ、あ…手…お放し 下さっ…!お願…いっ」 背を這う指先の滑らかな動きに、びくりと身体が動いてしまう。 「ふふ、駄目。理由はもう言ったでしょう? ああ、あとで傷口の方も洗うから安心してね」 「そっ、そういう問題ではッ!ひゃっ! あ」 「そう、問題なんて何もないよ」 「謙信様!…ゆっ、湯に入られてくださいっ…!冷えてしまいますよ!」 「心配しなくても、あとは髪を洗ったら入るよ。…一緒にね」 身体が熱いのは、湯の所為か、それとも――――。 ――――数刻前。 「あ〜………」 がっくりと肩を落とし、駆けて行った後姿を眺める。 もう声を張り上げても届かない距離。こうなってしまうと見送るしかないから、沙那はもう一度息をついて、その背が消えるまで立ち尽くしていた。 「言わなきゃ良かった…」 胸の前で腕を組む。無意識に左の指先を右手で隠すように。 隠された手の下には布が巻かれ、傍目ではとても痛々しい。 「(痛くないんだけどね…。もう五右衛門ったら、予備の薬草探しに行くーなんて…。こんな天気なのに…)」 既に何も見えなくなった進行方向をもう一度見、「もしかしたら戻ってくるかな?」と頭を左右にゆっくりと動かしながら、姿を探す。 「…ふー。来ない、か…」 今まで降ってはいなかったが、今降り始めたのだろう、舞い降りる雪に気が付き、手を差し伸べた。 春が近い、重めの雪。 「……」 差し伸べた手には布が巻かれている。 「うーん…謙信様に見つかったら…。すごく、心配させてしまいそう…」 先程、ちょっとした不注意で刃物で指を切ってしまった。切れ味が良かったのだろう、ぽたぽたと血は垂れるが、痛みは殆ど感じず。 自分で止血しようと布を巻いていた時に五右衛門に見つかり――――今に至る。 流石か、布はしっかりと巻かれているし、血が滲んでくるような事もないようだ。ただ、怪我の内容より数段、見た目は大げさな事になってしまっている。 「…外して、軽くしてもらおうかな…。こんなに巻かなくてもいい気がするけど…」 「沙那姫」 「!?」 「………。どうかされましたか。………庭に探し物があるのなら俺が」 「か、景勝。大丈夫ですよ」 背後から声をかけられ、慌てて羽織で手を隠す。それから、五右衛門を待っている、と言えば。 「……中でお待ち下さい。あれは忍び。姫が外で待つ必要はありません。………五右衛門もそれを望んでいるでしょう」 「…ん、はい。じゃあ…中で待っていますね」 部屋に戻り、文机の前に座る。やりかけのまま、そのままで止まっている。 「…とりあえず、これが治ってからかな…」 雪の中にいたからか、やけに部屋の中が暗く感じる。目が慣れるまで、じっと机を見つめた。 「沙那姫、入るよ」 「! は、はい!」 慌てて机の上を適当な紙で隠し、袖に手を引っ込め、羽織で隠して返事をする。 沙那が立ち上がるより早く、薄暗い部屋に一瞬光が差すと、直ぐに障子を閉められ、暗くなる。 立ち上がろうと中腰だった身体を制し、座らせ。謙信はその真正面に腰を下ろすと、雪の水滴が残る沙那の髪を袖で撫でた。 「……雪の中、何をしていたの?」 「え…?」 「誰かを待つみたいにきょろきょろして」 桃色の羽織にそっと指を滑り込ませ、手を隠している羽織と袖に触れたが、それ以上は動かさず、目を合わせて聞く。 「!」 「君が庭でうろうろしている、と何人からか聞いてね。………見ても、いいかい?」 「……。はい」 そこで漸く触れていた手を袖からゆっくりと抜き出した。指先に巻かれた布を、つ、と撫でる。 「………。ふ、忍びは何処に薬草を取りに行ったのだろうねえ…。城にもあるのに」 「……あ」 「大方、そんなところだろう?君が待っていた理由は」 謙信は苦笑したが、心もとない表情の沙那に今度は安心させるように頬や肩を撫で、微笑む。 「心配? …大丈夫だよ。自分も怪我をするような下手は打たないさ。姫の護衛をやる、って決めているんだからね」 一呼吸置き、「最初に沙那姫の怪我を見つけたのが忍びというのが面白くないけども」と続けると沙那の顔に笑みが戻った。 「……。はい」 「さて」 仕切り直しのように膝を打ち、布が巻かれた手をしげしげと眺め、指先で軽く辿って様子を伺う。 「忍びがやったのなら、きちんと処置はしてあるだろうね。…湯浴みの後で私が巻きなおしてあげるから」 「すみませ ――ん」 ぴた、と人差し指を唇に当てられ、くすりと笑う。 「当然の事なんだから、いいの」 微笑んではいるが、瞳が揺れている。 「(……あ)」 その瞳に、つきん、と胸が痛んだ。 「謙信様?大丈夫ですよ」 「…痛くはない?」 「はい。大げさに巻いてあるだけなんです」 「君の大丈夫はあまり信用ならないけど、今触れた感じでは、本当に痛みはないのかな…」 今度は、左手に触れないようにそっと抱き寄せる。 暫く外にいたからか、その温かさがとても心地良くて目を閉じた。 「本当に、…大丈夫なんですよ。利き手ではないし」 「ん…」 「―――でも、手伝ってあげないといけない事、あるよね…?」 「え?」 ――――時は戻り、湯煙に紛れて、妙に派手な水の音と、沙那の声と。 暫くそれは続き、部屋に戻ってきた頃には、妙に熱くなってしまっていた。 「はぁ…はぁあ〜…」 何の息切れなのか良く分からないまま、気持ちを落ち着かせるように深呼吸。湯から上がって部屋に戻って。 「ふふ、疲れちゃった?あんなにばたばたするからだよ。 さ、見せて」 桶と薬の用意をして来た謙信は沙那を座らせると、傷口を綺麗な水で洗い、丁寧に診ていく。 「ん、…最初の処置が良かったね。確かに見た目よりは酷くない。大丈夫、痕にはならないよ」 「そうですか。…あ、五右衛門は」 「もう戻っているんじゃない?私と二人きりなんだから、忍びの名前は出さないで」 このような物言いの時は、問題がない時だ。沙那は胸を撫で下ろしながら、微笑み、謙信の所作を見つめた。 薬を塗り、布を巻いていく。 思い出すだけで恥ずかしいが、湯浴みの時も左手は濡れずに済んだ。 利き手ではないから一人でも湯浴みは出来るだろうと思っていたが、多分一人ではうまくいかなかっただろう。 「…――――さ、終わり。違和感はない?」 きゅ、と端を結ぶと両手で包んで。 「はい、大丈夫です」 「そういえば、何をして怪我をしたの?」 「! あ。……その」 「……何?」 暫くはどう言えばいいのかと言葉を選ぶように黙っていたが、こんなに心配させた後で「言えません」とは言えず、文机の上の紙を取り去る。 そこには、明るい色の千代紙が、花弁などの形に切り取られ、白い紙に並べられていた。 「……へえ…」 素晴らしい出来栄え、とは言えないが、歪ながらも何処か温かさを感じるその花弁たちに、思わず双眼がふっと見開かれる。 「後は貼り付けてー。梅や桜の木を作ってみようかな、と」 「………」 「たくさん折り目が付いてぼろぼろになっちゃって…。どうにか使い道ないかな、って。…それで切ってみたんです。折角明るくて綺麗な色が多いから、もったいなくて。そうしてたら…不注意で切って…。すみません、なくてもいい事で怪我なんて」 「いや、そういう事か。なら、完成したら―――。…いや、私も手伝おうかな。刃物は持たせられない」 つ、と、桜になる予定の花弁の千代紙に触れ。 「桜に沙那を取られたくない。…君の血をもう、奪われたくないから」 目線は花弁から、沙那の手に。少し、声が下がる。 「も、もう、大丈夫ですから」 「…ふふ。なんてね。一緒に完成させてみたいんだ。さぁ、春の花と君の花、どちらが先に咲くかな」 微笑み、千代紙から視線を沙那へ。つられてふわりと笑う沙那にこつんと額をつけて。 「でもね、取られたくないのは本当。君が桜になってしまっては意味がないの。それがどんなに美しくてもね。……二人で愛でる事に意味があるんだよ」 「……。謙信様」 「閉じ込めたくはないけれど、…知らぬ間に連れ去られるのはごめんだ。…例え血一滴でも…」 「……」 前髪にかかる息がくすぐったくて、肩を揺らす。 「……。私、怪我をしたっていうのに。すみません…なんだか、妙に、嬉しくて…」 「本当に妙だよ。傷なんて作って欲しくないのに」 「でも私、本当に嬉しいんですよ。謙信様が、一緒に作って下さる、と」 ため息をわざとつき、不貞腐れたような表情を見せても、すぐにその表情を変えられてしまう。 「おや、可愛い事を…。これでは叱れなくなってしまう……」 暫く見つめ合い、微笑み。 「ね、謙信様?春になったら、お庭に縁台を置いて、お花見をしましょうか?」 「そうだね。 私と君で作ったこれと一緒に見よう。縁台は二人くらいしか座れないから…。邪魔が入らずに済みそうだ」 「ふふっ……」 やがて、白い着物――しっかりとしたその身体に沙那はそっと身を摺り寄せ。 暫くそうしていて謙信へかかる重みが増したから、抱きとめ、髪を、背を撫でてやる。 「(今更、…言っても仕方ない事だし、これだけで済んだ事を、良いと思わないといけないか)」 息をついて、目を閉じて、そう自分に言い聞かせた。 武将の自分から見れば、この程度の傷、怪我の内にも入らない。――――つまり、過保護だと思う。 「(けど、…仕方ないよ。気持ちが止められないのだから)」 それから、くすりと笑い。謙信の目に悪戯な光が宿った。 「…じゃあ、傷が治るまで、私が身体や髪を洗ってあげる。左手が使えないから大変だものね」 ――――そうだ、それくらい言わないと気が済まない。と、口角を上げ。 「え、えっ…!うあ、それは、遠慮いたしま―――」 「駄目だよ。…健やかなる時も、病める時も、と。私たちは誓い合ったよね?傷口も診てあげるから安心して」 身体に触れている手がゆっくりと動く。強弱をつけ、指先だけで触れ、身体をなぞっていく。謙信の指使いに慣れた身体はそれだけで熱を上げてしまう。 また、先程の湯浴みの指の感触を思い出し、余計に。 「ふふ…」 「そ、それとこれとは」 「別ではないよ。問題もないって言ったじゃない…?」 笑みを深め、しっとりと低い声。 湯浴み後だからか、お互い少しばかり上気した頬。その頬に頬をつけた。 「ね、沙那」 |
|
日記を読んでいた方はもしかしたら「ぴん」と来たかもしれません(笑)。 まぁ、いろいろあって傷のお話。 切れ味のいい刃物ですっぱり切ると、痛くないんですよね。血はすごいけど。 謙信様、過保護です。そして五右衛門も過保護です。 桜がナントカ、ってのは書きながら思いついたやつなのですが(いや、毎回そうですけど)、 とりあえずシメが出来て良かった…。 ←オイオイ 桜の下には死体が眠っていて。だから桜は綺麗なんだよ。 ナントナクの挿絵。 これから、4月も下旬になって春になって、縁台でお花見。 感想・要望などございましたらどうぞ『WEB拍手』 back |