追いかけっこ


「サエナはあっちだよ」

 花屋の軒先に近寄るなりそういわれて思わず足をとめたら、背中を押されて、サエナらしき人影のほうへぽんっと押し出されてしまった。

「え、何…」
「何じゃないだろ。追いかけな」
「でも、花を買いに来たんだけど…」
「そうかい。じゃこれでも持っていきな」

 花屋のきさくなおばちゃんは、かわいらしい白い花を花束にして胸元に押しつけてきた。アルフォンスの手に花束がひとつ渡る。お金を払おうとしたら「後で良いからっ」と、わけのわからないことをいわれて、首をかしげながら花屋を離れた。


 サエナだって?


 辺りを見まわしたが、姿が見えなかった。大通りから路地に入りこんだところにある商店街は賑わっていて、人が多く行き交い、広くもない路は、ざわざわとざわめいていた。人と人の合い間に、サエナの服の切れ端を見たのは偶然だろうか。

「あ、いた…」

 ほんとにいたんだ。と、アルフォンスの顔が一瞬だけ輝いた。誰かが見ていたら気恥ずかしくなるほど嬉しそうな顔をして、人をかきわけ、小走りに駆けだした。

 遥か前方で何か買い物をしている姿があったので、慌てて駆けていったのに、その店に辿りついたときには、もうサエナの姿がない。

「兄ちゃん、サエナならあっちだよ」

 店の主人がいきなりそんな声をかけてくる。いったい何だろう、今日は。ぼくの顔に「サエナはどこ」とでも書いてあるんだろうかと、アルフォンスは自分の顔を撫でてみた。

「ほら。早く行かないと追いつけないぞ」

 急かされて駆け出そうとしたら、これを持っていけとリンゴを渡された。アルフォンスの手に花束とりんごが渡る。なんだか荷物がかさんできたなぁと思いながら、サエナの影を追って、またも駆けだした。


 それからサエナが立ち寄った店に近寄るたびに声をかけられて、ものが増えていくのと同時に、サエナの行き先を教えられる。というのを、くり返すたびに、アルフォンスは自分が夢を見ているような気分になってきた。なにしろ、こんなに走っているのに苦しくならない。体が軽い。夢かもしれない。きっと、夢だ。

 夢だから…
 駆けても、駆けても、サエナに追いつけない。

 ひらひらと舞うスカートと、ふわっと揺れるレースが、視界に映るたびに、アルフォンスは錯覚におちいっていく。これは夢だ。夢だ。夢だ。いつしか心のなかで繰り返し、だから追いつけないんだと、なのにどうして走っているのかと、不思議な気持ちになった。

「サエナ…!」

 名を呼ぶと、声ごと風に飛ばされそうになる。
 アルフォンスの両腕には、パンに果物にお菓子など、ひとつひとつは量が少なくてささやかだけれど、人々がくれたものがあって、溢れそうになっている。

「サエナ!」

 どうせ夢なんだ。大声で叫んでもいいだろうと、麻痺した感覚で叫んだら、レースのひらひらがようやく足をとめた。風に流れる長い髪を耳にかけながら、サエナが振り返る。振り返ったサエナの瞳が、アルフォンスを見つけて、大きく見開いた。


「え、アル。ええ…っ?」


 そんなに驚かなくても。と、サエナのすぐ近くで足をとめると、サエナは、あらぬほうを指さしてからまたアルフォンスを見て「ええっ?」と声をあげた。

「だって、私、いまアルを追っかけてたんだよ?」
 とか、わけのわからないことをいう。
 今日は皆して「わけのわからないことをいう」日とでも定めたんだろうか。

「あ。あー…。わかった。人違いだったんだ。私ったら、違う人、アルと思って追っかけてたみたい」
 人ごみのなかでアルを見つけて追いかけた。店の人に訊ねてまわった。どんどん早足になって、どんどん泣きたい気分になっていたんだと、口の中でごにょごにょいっている。それでアルフォンスは、やっとからくりに気づいて笑った。

「そう、か…」

 つぶやいたとたん咳がこみあげてきた。まるで思い出したように、夢ではない証拠のように、ぜーぜーと呼吸が苦しくなる。サエナの手が自然と背にまわり撫でてくれる。その感触のあたたかさに、やっぱりこれは夢じゃないんだと、あたりまえなことを考えている自分に笑った。

「…サエナが…ぼくを追いかけてるのを知ってたから、店の人たち、ぼくにサエナを追えって、いったんだ。何、かと思ったよ、ほんとに」
「うん…そういえば、アル、そんなにいっぱいどうしたの」
「店の人がくれたんだよ。たぶんサエナへのプレゼントだよ」
「あ、違う。アルへのプレゼント」

 にこっと笑っていうから、アルフォンスはきょとんとなった。

「今日、アルの誕生日でしょ。私がそういってまわったからくれたんだよ。きっと」
「そんなこといってまわってたの?」

 驚くより先に恥ずかしくなって腕のなかにあるものを見た。何か動作をするたびに「ごほ」と軽く咳こんだ。咳き込んでも落とさないようにしっかりと抱えていた。

「ありがとうって、いいそびれたよ…」
「あとでいいにいこ。けど、それじゃ私からのプレゼント、渡せないなぁー」
「サエナから、プレゼント…!?」
「うん。たいしたのじゃないんだけど」

 うなずいて真っ赤になる。それを見て、アルフォンスも赤くなった。

「あ。じゃ、家に戻ろう? プレゼントは、それから、あげるね」
「う、うん。わかった。何かな、楽しみ」
「たいしたのじゃないんだよ。あ、そうだ。アル、ちょっと持ってあげる」

 すっとアルフォンスに近づいてきて、その腕の中から果物を拾いあげている。その仕草がかわいらしくて、少し、目を奪われた。ひらひらと揺れるスカート、ふんわりとしたレース、ついさっきまで追いかけて追いかけて、でも追いつけなくて、夢の中にいるようだと思ったことが、頭によぎって、ふっと、本当にふっと、魔がさした。

「……っ!」

 サエナがぴくっとして、目を大きくして、アルフォンスを見つめている。
 その目を見て、アルフォンスは、はじめて自分が何をしたのか気づいて真っ赤になった。

「なんで赤くなるの。赤くなるのは、私…!」

 サエナもパニックを起こしたように、わたわたしている。
 視界が急にかげったと思ったら、アルの髪がふぁさっとおでこに触れて、唇にやわらかい感触が…。そこまで思い出したら、耳まで熱くなった。

 アルフォンスは首まで赤くなっている。

「ごめん。なんか…もう、プレゼントもらっちゃった気分…」
「ち、ちゃんとしたプレゼントあげるから、帰ろう!」

 わざとのように元気な声をあげたサエナは、アルフォンスの腕にあるものを半分つして、片腕にかかえた。

 そのとき、ぱちぱちと拍手が湧き起こった。

「え」
「…何?」

 驚いて視線を向ければ、商店街のみんなが、道行く人までが、ふたりの様子を囲んで見ていたらしく、何やらとてもにこやかに笑って、拍手してくれている。喧嘩でもしていたふたりが仲直りしたと思ったのか、それとも告白か求愛が成功したとでも思ったのか、祝福ムードだ。その只中にいるふたりは硬直した。
 ああ、そうだよ。これは夢じゃなかったんだよと、アルフォンスは、往来の真ん中でくりひろげてしまった「ふたりの世界」なシーンに、今更ながら赤くなったり青くなったりした。

「サエナ、行こう!」

 ここは突破するしかないと覚悟を決めて、アルフォンスは、あいた手をのばしてサエナの手を握りしめ、小走りに駆け出した。追いかけていたときはひとりきり、いまは、ふたりで、駆けぬける。拍手は、はやし声に変わる。

「なんだか…嬉しいね…!」

 サエナがいうと、

「…うん」

 アルフォンスは照れた顔をして、うなずいた。

 ふたりして、ちらっと目を合わせて、くすくす笑った。

 お誕生日、おめでとう。  






誕生日お祝いとして、きいちゃんからいただきました!
アルとサエナのお話です〜。
アルの誕生日の話らしいです、いつだか知りませんが…。

しかし、行動力があるのかないのか…アル(笑)。

サエナの「今日誕生日だって言ったから」に笑いました。
会う人みんなにそれを言うなんて…サエナらしい…(笑)。

「なんでアルはグレイシアさんのところで花買わないの?」と聞いたところ、
「グレイシアさんのところだとモロバレだから(何が)」だそうです。

毎度恒例挿絵



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