追憶の神竜族:3跡地
こつこつと言う硬い床と靴の音と、時折、砂を踏む音。ガラスの破片を踏む音。あまり心地の良い音ではないが、気にせず神殿の中央まで進んでいく。 子供だったあの時は見上げる余裕などなかったが、天窓からの光が眩しく美しい。 …そうだ、余裕云々ではなく、ここが怖かったのだからそう思えるわけがなかった。物言わぬ像だって恐怖の対象だったのだから。 チキはその頃を思い出し苦笑した。 「(心持ちが変わったのは…やっぱりパレスでの生活が大きいのかな…)」 割れてしまったステンドグラス。それでも窓枠に残った部分が赤や青に光っている。枠だけになってしまった部分からは白い光。 光の帯はこちらまで届いてくる。 身廊の最奥にそれはあった。 金色と、金属の劣化による黒色が絡み合う柱・天蓋。 『チキ、ここに描かれているのはね、チキのお父様だよ』聞こえた気がした。昔、そう教えてもらったのだった。その中央奥の壁には古くなったタペストリー。 恐らく膝をここについていたのだろうと思われる、擦り切れた赤い革張りの板の上。 そこにチキも膝を折った…が、痛さに思わず顔をしかめた。 「(もう、お姉ちゃんもこれ直せばいいのに。…っていっても…もしかして最近は使ってなかったのかな)」 使い込んだであろうそれは二つ丸く――膝の形にへこんでしまっていて。クッションの役割をしていた筈の革張りの下の綿も出来の悪い砂糖菓子のようにぱりぱりになっている。 「パレスの生活、か。……ふふ、―――そうね、…放さなかったわ、だってね!とっても嬉しかったの」 二人に良く似た子。自分にとってはきょうだいのような存在。 二人が私をとても愛して大事にしてくれたように、私もこの子にしてあげたい、と幼いながら思ったし、素直に嬉しかった。 実は最初の頃、少しだけ寂しくなったのは否定しない。けれど、二人はちゃんと私も見てくれた。だから、そんな気持ちはすぐに飛んで行ってしまった。 成長したその子は、やっぱり二人の子だと思わせる性格と容姿で――――。 「っ!」 突然喉の奥がつん、と痛くなって、チキは気を逸らすように真正面を向いた。 天蓋の中、そこには透明な魔道の力の氷に守られた封印の盾。 「?」 違和感を感じてそれに近付き手を伸ばすと、氷は解けかかっていた。 「……あ? お姉ちゃん…?」 そういえば、それを守るメリクルソードとグラディウスはかつての輝きがない。 身廊から細い路へ、崩れた破片を避けながら進むと「とある扉」の前に辿りつく。 重く装飾されたカーテンの彫刻、その上に翼を持つ竜の像がこちらを見下ろしている。そこから延びる巻物を模った彫刻には竜族の昔の言葉だろうか、祈りのスペルが刻まれていた。 薄荷色の髪は白い大きな石版に広がってる。今、チキが扉を開けた事で生じた風で微かに靡いた。 腕はその石版に彫られた文字を守るように回され。 司祭はまるで眠っているかのようにそこに横たわっていた。 神殿内の小さな礼拝堂。 「…みーつけた」 「みつけた」と言葉に出してチキはまた、喉に手を当てた。 「ああ、かくれんぼ…」 そっと膝を付いてその身体に触れる。 「……っ」 遥か昔、この腕にたくさん抱きしめてもらった。 今、その身体は抜け殻となったが、大きな石版のその真下に眠る最愛の人を守り、抱いている。 手はまるで誰かと手を繋いでいるかのように軽く握られ、守りの指には変わらず、空のような優しい色合いの司祭の指輪が二つ、嵌っていた。 「……。あ、パルティア。お姉ちゃんを守っててくれたのね」 傍に寄り添っているパルティアと魔道の杖。 それもかつての輝きは失せ、白く。それは持ち主を失い、既に力を失っていることを示していた。 「…エスナお姉ちゃん。封印の盾を守っていてくれてありがとう。チキはもう大丈夫よ」 溶けかけた氷の術は、術者が居なくなった事で、緩やかに解け、いつかは消えてしまうだろう。 かといって、神竜族であるチキが持ち歩く物ではないと思っている。 だから、英雄戦争が終わってからこちら、人ではないエスナが守っていたのは異例だったかもしれない。 それはドルーアの封印の為もあるが、チキと、神竜と人の血を持つ子を守る為。 「……」 触れると石のように冷たく固い。それでも壊さないようにと優しく、指先で顔に掛かっている髪をすくい、梳いた。 現れた顔、表情はとても優しい。それは最期の時、とても穏やかだったのだと容易に想像できた。 首に掛かるペンダント。竜の時代からの宝玉が「そうだよ」と言わんばかりに、きらり、と光を反射する。パルティアの神々しい炎の色と、包み込む治癒の力の透き通った色と。 「ふふ。…寂しいかな、って思ったの。でも、ちゃんと傍に居てくれたんだね…ジョルジュのお兄ちゃん、最期まで約束果たしてくれたのね」 チキはもう一度触れ、風で乱れた髪を梳き、金の環で結い直してやる。それから服やらに積もった埃を払う。ふと、ローブの裾から覗く足首に掛かっている小さな神竜石に目が行く。 「! あ…」 その竜石はチキの遠い記憶と全く違っていて、ただの石ころのように変わってしまっていた。それは所有者の完全な停止を意味している。 チキは思わず自分の胸元の竜石をきゅっと握り、目を伏せ、それから出来るだけそれを見ないようにしながら、ローブでエスナの足を隠した。あの美しい光を宿していた石が変わり果ててしまったのだ。本能的に「怖い」と思うのは仕方がないことかもしれない。 それからぶんぶんと頭を振って、大きく息をつく。 「さ…」 立ち上がって一歩下がり、神竜石を胸の前で構え、口を開いた。 するとそこ、石版を囲うだけの魔法陣が生じ、一瞬、キン、と、大きな光を発する。 「一緒に眠って…」 はらはらと光のような羽がいくつも落ちる。 石版は水面のような波紋を描く。窓から落ちる光で、揺らめく。 誰が奏でているわけではないが確かに聞こえる楽。それは外からの鳥の声、草木のざわめき。それらがまるで光が天上の音楽のように、降り注いだ。 「二人で見守っていて。一緒に居て。…いつかあの子も帰ってきたら、抱きしめて。ふふ、二人なら私が言わなくてもわかってるかぁ…」 まるで水葬のように、ゆらゆら静かにその中に沈んでゆく。 白い肌も服も、明るい色の外套も、身を守る装飾品や竜石も。 水面――――板に面しているところから沈んでいくから、顔や手が見えなくなる寸前、チキは思わず手を伸ばしそうになった。 (いや、逝かないで…!) 「っ! ううん…。大丈夫。どこかにチェイニーもいる…おじいちゃまだっているもの…」 雫がぱたぱたと落ちる。それは王冠のような形を作りながら石版の水面に落ちてゆく。 「私はたくさんの人に守られてきたんだもん…その人たちはここにいる…」 最後、薄荷色が消えたと同時に石板は揺らめくのを止め、本来の白い石の姿に戻った。 チキは平らに戻った石版にもう一つ名前を刻む。優しい腕を思い出しながら、ゆっくりと指を動かす。 やがて二つ並んだ名は、近い将来ラーマン神殿が崩壊しても、この石版が失われても、きっと共にあるだろう。 それからその石版の上、真下に居る二人を守るようにパルティアと杖を置いた。 「…さ!私も行かなきゃ。ジョルジュのお兄ちゃんが言った通りに色々な人に会って来てね!それでね、…やっぱりこのアカネイア大陸が好きだって思ったの」 色々な所を巡って、たくさんの人に会った。 良い人も悪い人もたくさん。優しい出来事にも会ったし、怖い事も見た。 そうしてふと思い出すのが幼い頃の、記憶。 「…これからは私もこの大陸を守るわ。…マルスのお兄ちゃんたちの大切な……、ね!」 くるり、とその場で回る。 ふと、髪を撫でられ、肩を抱かれた気がして振り向いた。 優しい手、それと、逞しい大きな手。 だがそこには何もない。 「!」 ただ、柔らかい風が吹いていただけ。 「……ふふ」 そこは、廃墟となった今でも、時折、誰かが訪れる。 |
長編の続きになる感じです。 エスナの名前を刻んでくれたのはチキって事…ですね。 最初にも書きましたが、チキの口調が覚醒チキと全く違ったらすみません。 ところでエスナは大陸一の弓騎士の墓をわざわざラーマン神殿に移動したってことですね。 何を今更↑ とりあえず3話完結です。感想など頂けたら嬉しいです! 感想などございましたらどうぞ『WEB拍手』 『メールフォーム』 TOP |