この神殿が破壊の対象になったのはもう数十年も前だろうか。 今は誰一人としてそれを考える者は居なくなるほど、人から遠く。木々やツタに覆われていた。 「(ここも、…もうなくなっちゃうかな)」 それでもこの建物を認知している者たちの間では「ここに近付いたら祟られる」や「女神様が住んでいる」などと様々な噂が流れていた。 それは時々、白いドレスを纏う薄荷色の長い髪を持つ女性が歩いているから。 しかし、どちらにせよ、「手を出してはいけない」とうまく根付いたおかげで、この神殿には誰も近寄らない。 「……」 祭壇を見ると、ナーガ神のタペストリーの真下、氷のような魔法の中に封印された封印の盾――――ファイアーエムブレムがある。 つつ、とその氷の上から盾を撫でた。ぴたりと指が止まった先は星のオーブ。 遥か昔、砕け散った「星の欠片」を集めた事を思い出す。 「サジタ……」 何か言いかけて、胸の前で手を結び、小さく首を横に振る。 そして盾のその両脇にはメリクルソードとグラディウス。こちらももう今となっては伝承の中だけの代物となってしまった。 色が付いた大理石で精巧に組まれ、作られたモザイクの床を、靴の音をさせながら歩く。 「(盾も、私が守らなくなったら前みたいに無くなるのかな…。まぁ、チキが無事ならドルーアも大丈夫だろうし…あとは人に任せるしかない。…私はもう……。――――もう、いいよね…?)」 やがて神殿とは通路を挟んで隣。とあるドアを押し開け、小さな礼拝堂となっている小部屋に足を踏み入れた。 礼拝堂はそんなに古くないのだろうか。天井のはがれ、煤けたフレスコ画から見ると、多少新しい。 エスナはとある場所に腰を下ろし、大きな大理石のような白い石版に刻まれた文字をゆっくりと撫でた。それはまるで愛しい者に触れる手つき。 「もう、聞いた?あの子、弓の勝負に行ったんだって!? …うんん、きっと助けに行ったのかな。ふふ、良く似てるんだから。……ね、また戻ってきてくれるって言うから、戻ってきたら教えてあげてね」 「チキ、あれからもっと綺麗になったの。流石私の妹分だよね!うちの王女は可愛いんだから。…きっとマルス様も驚いちゃうんじゃないかな」 明るい声は、音が反響しやすい礼拝堂でとてもよく響いた。そして、自分の音以外何もなくて。 「あの…あのね!……――――ここも、随分、かわ……っ、 てね…。 もう、 あ、たし…知ってる人…居な…」 ジョルジュが居なくなった後、しばらくはパレスに居た。 歴戦の勇者たちの子供らが大きくなって、その子供たちがまた居なくなった頃、それでもなお姿が変わらないエスナはやはりここにいるべきではないと判断した。 人間の国は人間が動かさなければならない。 「…ッ」 ぱた、ぱた、と音を立てて雫が石に落ちた。 どくん、どくん、胸が痛くて、喉の奥が痛む。 「っ! まだ、泣けるんだ…。ふふ、吃驚した。兄様に久々に会ったからかな。…でも、声はちゃんと持ってる…」 喉元に手を当て、こくんと動くのを確認するように。 遙か昔、一度声を無くした。今思えばあれはかなり自棄になっていたのだと。 「…――のおかげで、私は」 辺りが段々と暗くなり、窓からの光が橙色に変化する。ステンドグラスは暖かい色の光を分けながら微かに天使の梯子を描いて降り注いだ。 ゆったりとそこに横になる。 刻まれている文字をもう一度撫でると、視界に細身の司祭の指輪と、もう一つ重ねてある紋様の入った銀の環が目に入った。 「……」 そっと抜き取り、その文字の上に置く。環に刻まれた自分の名(と言っても磨り減って読めなくなってしまっているが)と、その文字を合わせるように。かつん、と小さな音を立てて。 「う……んー…」 闇の衣と共に訪れた睡魔に襲われ、瞼が重くなり、そのまま眠りについた。 蒼白い光は多分月明かり。 風花がちらちらと舞い、その雪が月明かりを受け、窓ガラスに影を作りながら落ちてゆく。 先程までは曇っていたが、今は月に負けない光の星がきらきらと輝いていた。 それはずっと昔に見た星の欠片と同じ光たち。 こつ、こつ、とゆっくり歩み寄る音。 足を止め、片膝をつくと、眠ったままの頬を指で撫で上げた。 しゅるり、とマントが擦れる音がする。 「ん…?」 「………」 「う。…うぅ〜…兄、さま…?」 「こんな格好で寝て。竜ってのは風邪引かないのか?…それともお前が馬鹿なのか…?」 「…ん…?」 「ほら、起こしに来てやったぜ」 低い声。少し馬鹿にしたような口調と声音だが、心地良い低さの。 「――――!?? あ、チェイ……! あ、違…? うそ…」 この声だけは忘れない。ずっと待ち焦がれていた、声。 勢いよく身体を起こし、目を見開く。 「あっ…!?」 「妙な顔して。俺は化け物か。…忘れちまったのかよ?」 「っ! あ……?ほんと に…?」 身体を起こし、顔をよく見ようと近づける。だが、視界が滲んでよく見えない。 そんな様子に苦笑しながら、涙に濡れる目元を指で拭い、髪に触れ。 「うん? …おい、指輪ははめとけ、って言わなかったか」 「……ふふ、はめてくれるの、待ってたから」 「やれやれ、口数は減らないな。全く変わってないぜ。……ふ、あいつがお喋りなのはお前譲りか」 大理石の文字の上に置かれているその環を拾い上げる。指の中で回すと、月明かりに反射してきらりと輝いた。文様も名も分からなくなるほど擦り減っている―――と思った。それはエスナが生きてきた時の長さだ。 「……。大変な思いさせた。悪かったな」 「!」 目を伏せ、息をつく。その低くなった声音にエスナは眉を上げ、 「もう!謝る理由が分らない。…勝手に大変にしないで」 「……? お前、どういう方向で怒って…」 「言ったでしょ!?あの時、ここに迎えに来てくれた時からもう十分なんだ、って」 「!」 「…それよりたくさん!色々!あったのに謝られたって困る!」 腰に手を当て、片方の手の人差しを立てながら。「たくさんあったこと」を数えるように指が動く。 「……。はっ、やれやれ。全く妙な所で気が強い奴だな」 思わず目を丸くしてしまう。それから吹き出し。 「ま、いいか。…それがお前だ。突然しおらしくなったらこっちが驚いちまう」 「…ふふ」 「そういえば、…あいつはどうした。お前と離れてから随分経つだろう?」 「…アンタに良く似てるから、弓引っさげて行っちゃったの! …なーんて、ふふっ。きっとね、同じだよ。ほんとよく似てる」 「…そうか、元気そうで何よりだ。ならもう心配ないか。ま、どの程度成長したか見てやりたかったがな…」 「あのね、…見えなくても傍に居てくれるって思ってたから寂しくなかった。…きっとね、あの子もそうだと思う。だから、だから……謝らないで。竜の私とチキと……あの子を守ってくれた事、誇って欲しい」 微笑むその顔、目元は先程の涙の跡が残っていたが。それは指摘しない。 その笑みが無理矢理作った笑顔ではなかったから。 「! ……ああ、…そう言って貰えるとありがたいな」 言いながら、変わらずその守りの指に指輪を通し、磨り減った名に唇を当てる。もう一度重ねられた司祭の指輪たちはきらきらと輝いた。 「ね!話したい事いっぱいあるんだ!…何から言えばいいのかわかんないくらい」 ぽん、と手を叩いて。「じゃあお茶でも」などと言い出しそうなエスナの雰囲気に流れた時の長さは全く感じられない。そんな様子に彼は目を見開き、それから苦笑した。 「ああ、こっちもある。……随分と待たせちまったからな。その分、甘えさせてやるぜ?」 「ふふ、じゃあ私も甘えさせてあげる」 からかうように言う彼のその物言いが懐かしくて微笑む。 「ふ、…好きにしな。 ――――じゃあ…」 来いよ、と手を差し伸べる。 エスナがその手に手を重ねると、手の主は己に引き寄せ、抱きしめた。 「んー…あぁ〜久しぶり」 「もうちょっと色気のあること言えないのか?」 「え?そんなこと言ったら驚いちゃうし、私はそれでいいんじゃなかった?」 「確かにな。しかし、よくそんな昔の事を覚えてるもんだぜ…」 「ふふ、……でも。…嬉しい…。こうして…」 「ああ、約束だろ。見つけ出すってな。…エスナ」 「はい……」 名を呼ばれると、素直に目を上げ。自然、視線が絡み、吸い寄せられるように、互い、顔を近付け。ゆっくりと触れる。 「……愛している…」 「! …ん…。私も…誰にも渡さない。…約束だもんね…?」 「ふ、…ああ」 彼の傍らに在る黄金の弓は、当時の輝き取り戻し。エスナはふわりと笑いながらそれを眺める。 そんな様子を見ながら、彼はエスナを抱く腕を強めた。 「連れて行って…! ――――ジョルジュ…っ!」 ごとん、重い音がして杖が手から滑り落ち、それは黄金の弓の隣りに寄り添うように転がる。 杖の薄荷色の水晶は魔道の力で波打っていた。それは、杖が生を受けてから数千年間止まる事はなかった。 しかし、それは今、緩やかに停止していった……。 12話 終章2 Astro del ciel ――――かつてここには竜の女神と呼ばれる少女が居た。 それから数十年は無人の神殿と言われていたが、そのまた数百年は人のようなそうでないような、「曖昧なもの」が居ると噂された。 神殿内には、小部屋を改造した小さな礼拝堂があり、三種の神器の一つ、パルティアだけは何故かそこに納められていた。 そして、「曖昧なもの」を全く見なくなって、また数十年。 ――――とある日、怖いもの見たさの子供達が「お化け屋敷探検だー」と足を踏み入れる。 ツタや緑は外観と同じように内部にも侵入し、そこらじゅうに絡み、苔生していたが、それらはこの神殿を守るように囲い、暖かい陽の光を分けていた。 「あ、見てみて!名前っぽいのが書いてある!二つあるよ!」 そこは廃墟によくある不気味さ、怖さは何故か感じず。ただ、静かに。 「へー この名前の人たちのお墓なのかなぁ。んと…Jor…… Es…?っていうひとー?葉っぱが絡まっててよく見えなーい」 「ねえねえ、弓と杖の像もきれー」 「お は か ぁ !? …げ、怖ぇえじゃん!」 「じゃあちゃんと祈ってけば?」 「えー」 「うえー」 えー、と言いながらも一同、そこで手を合わせる。しかし、直ぐにそれに飽きて、きゃあきゃあ言いながら子供達は探検を開始してゆく。 何かが置いてありそうだった台座。 きっと素晴らしい刺繍が施されていたのであろう厚い布のようなもの。 そして、白い石で造られた像のように、白く姿を変えた主を失った神器。 その間を駆け抜けていく。 数百年、誰も近付かなかったラーマン神殿。 その日は、とても柔らかな風が吹いたという。 空には何千年変わらず星が光り、地上の迷えるものたちを照らす。 『ナーガ様。エスナはとても幸せでした。…だから、チキとあの子もそうだったら、いいですね』
そして物語は次の世代へと継がれゆく。 |
・あとがき・ アカネイアの弓騎士と神の竜 ここまで読んでくださってありがとうございました。 そしてお疲れ様です。 最近何故か箱田FE再熱し、絵が増えてきたので、 「じゃあ、説明がてらに…」と、以前書いていたこの小説を加筆修正して出したわけですが、 ノリで書いていたので表現がかなり幼く、「何でここで口語体なんだ!」なんて吹きながら修正したものです(笑)。 小学生くらいから書きはじめてちまちまのばしてました…。未だに終わってない話もあります。オイ。 折角なので多少「新」のネタも入っていましたが、物語の表現は殆ど変えていません。 実は船のシーンもあれの倍以上あり、そこで竜の設定話…(グルニアに偵察に行っていたアストリアとミディアが登場)、 なんていうのもあったのですが、そこはばっさりと切りました。 エスナは1部の「暗黒竜」ではただの記憶がないシスターさんです(と、改めて書くと禁書さん?)。 竜だなんだというのは2部「紋章」からなのですが、曖昧な自分の存在が怖かった所はあると思います。 それでもいろいろ構ってくれた人の事を気になっていくのは当然の流れで…。 2部以降、竜である自分を受け止め、愛してくれる存在は何よりありがたかったと思います。 ジョルジュにとってもエスナの存在が癒しになってくれたらいいなぁなんて。 唯一寄りかかれる、良いことばかりじゃなく、泣き言も愚痴も言える存在にね。 ……そしたら某所で「この二人なら大丈夫」と言われて顔がにやけている所です。にへら。 ←怖 さらにまた違う方から「エスナが出るFEがやってみたい」と言われまたにやけました。 えへー。 ←やめろ パレスで過ごす普通の時間って言う話もいいですね。 ちょっとこの長編では行ったり来たりでうじうじしてる所も多いので。 でも何処かのあとがきでも書きましたが、アッサリ付いていくってしたくなかったのです。 さて。終章1からのチェイニーとエスナの会話は何百年後か不明です(なんだか当人達もはっきり分ってなさそう)。 みんないなくなったパレスを引き上げてラーマンに戻ってから…数百年? 覚醒チキは3000歳!?と聞いたのですが、エスナはそこまで届かなかったと想像。 最終話に存在だけ出てくる「二人の子」ですが…、人の血が強くなって寿命はそれなりだったのか、 それともやはり竜並みに生きていて、今も旅をしているのか…などはご想像にお任せします。 そして最後のシーンの挿絵は「こちら」迎えに来た最初と最後で同じ絵ですか…。 あとがきの様な物はあまり得意ではないので支離滅裂な感じになってしまいましたが、 少しでも楽しんで頂ければ嬉しいです。 また、連載中も拍手コメやメールを数名の方から頂きました。ありがとうございました。 お気軽にまたコメントなど頂けると嬉しいです。 チキもパレスでみんなと過ごしたあの時間がとても楽しい時間であり、 またその先数千年続く刻が幸せである事を祈って。 Settembre, 2013 感想などございましたらどうぞ『WEB拍手』 『メールフォーム』 補足 TOP |