時は刻む


 何の目的があるわけではないが、なんとなく始めてしまうと、暫くそのまま。
 しゃらんしゃらんと金属が擦れる音と共に重石の役割をしている先端の銀の塊が勢いよく廻る。

「そういえば、兄さん、いつ返してもらったの?時計」
「ああ?」
「…だ・か・ら!兄さんの銀時計」
「銀時計ィ〜? …あぁ、これか」
 これ、と示した途端、回していた指が止まる。一瞬遅れてかしゃん、と音をさせながらそれは回転をやめた。
「………」
 今まで回していたのはなんだったのか、とアルは苦笑しながら、その時計をしげしげと眺める。
「本物、だよね?」
「ああ」
 開けてみると、きちんと時間を刻む普通の懐中時計。
「あれ、なんだかズレてる?…中身、誰かが入れたの?」
 ほんの少し隙間が開いている。エドワードは苦笑して「ああ」とだけ返事をした。


 ミュンヘンを旅立って数日。とある町のとある食堂にて。店にぴたりと併設された外の席だ。
 エドワードは空を見上げ、目を細めた。



*



「エドワードさん」
 少し低く、落ち着いた青年の声。
「ああ、アルフォンス。出かけてたのか?…まぁたサエナに引っ張り出されたか。アイツ、何かあれば市場だーなんやらーって忙しいよな」
「はは」
 リビングのテーブルには幾つかの本。アルフォンスが来た事で特に意味もなくそれを閉じ、何も言わずともコーヒーを二つ用意してくるアルフォンスをなんとなく眺めた。
「あ、新聞買って来たんでどうぞ」
「あれ。外、雨か?」
 ふと、壁に掛けてあるアルフォンスのジャケットに目が留まる。そこには落ち切れなかった水滴が点々としていた。
「ええ、少し冷えてきましたよ」

「なぁ」
「はい?」
 コーヒーに口を付けながら問う。
「そんな雨の中、何処行ってたんだ?」
 身体の弱いアルフォンスが好きでこんな寒い中でかけるとは思えない。つまり、サエナが誘うとも思えないのだ。だから先ほど自分が問いかけた「サエナに引っ張り出されたか」は撤回する。
「……ああ」
 笑い、テーブルの墨に置いてあった紙袋に手を伸ばす。

「時計の中身。近いサイズの物が入ったって連絡来たから貰いに行ってきたんですよ」



*



「…ハイデリヒ…さん?」
「ああ、別に頼んでもいないのに、さ」
 苦笑しながら、ぱちぱちとその蓋を開け閉めする。
 あの後、仕事の合間にやらせてください、とかなんとか言われ、時計を預けた。
「………?」
 笑みを思わずひそめる。
「…兄さん?」
「あ?いや…それからよく覚えてねぇなって」
 ぽりぽりと頭をかきながら、まだ皿に残っていたヴルストを口に運んだ。この世界に来て何度も食べてもう慣れた味だ。



*



 ぷち、とフォークを突き立てると音がした。
 それからころころと転がすようにして皮をむく。その剥き方はドイツの人から見ればどうだろうか、サエナは「私イタリア人だし」と心の中で自己完結しながら、それでも剥くことができた白いヴルストの中身を小さく切って口に放った。
「………」
「……あ」
「?」
「冷めちゃうね。ぼくも食べようかな」
「私剥いてあげよっかー」
「いや、自分で……。……うん、じゃあ、頼もう、かな」
 一瞬サエナの顔色が変わったのを感じ、苦笑しながらアルフォンスはそう訂正した。ころころ表情が変わる。サエナはまた同じようにフォークとナイフを使って小さく切って皿に並べた。
「…エドの時計だっけ」
「ああ、…午前中時間が空いたからね。随分経っちゃったけど中身、入れちゃおうかと思って。あとチェーンが少し悪いみたいだから取り替えて…」
 テーブルの上の朝食のほかにはエドワードの時計があった。素晴らしい銀細工が施されているあの懐中時計だ。
 エドワードは興味ない、を顔に張り付けたような表情でこれを見るが…、それが「考えないようにしている」顔だともアルフォンスはわかっていた。

「――――エドワードさんの時間が、動く…ように、って」
「え?なに?」
 聞き返したのは聞いていなかったからではない。アルフォンスが殆ど口の中で呟いたから聞こえなかったのだ。
「……。きれいな時計だよね?」
「あ、うん。でも随分傷だらけだ…どんな生活してたらこんなになるんだろうね」
「……あのさぁ」
「ぶっ!? サエ…!?」
 フォークに突き刺したヴルストがアルフォンスの口元にぐい、と押し込まれ。驚いたがそのまま口を開け、それを租借した。
「…ごほっ、もう、何?突然」
 飲み込んでからサエナを見ると、不満げな、だが少し寂しげな顔をしながら、空になったフォークを小さく振る。
「………あ」

「もう、アルってばいっつもそう。…ねえ、エドがアルにこれ渡したのってさ、この時計がどーでもいいからじゃなくて、アルだからいいって思ったんじゃないの?」
「……」
 かちゃ、小さくチェーンが鳴った。
「大事なものなんだよ。…私がパパのコート大事なのと一緒で。その大事なものの修理をアルがやりたいって言って、エド、いらねえって言わなかったんでしょ」
「……」
「じゃあ、いいじゃん。…ね」
 こつ、と銀時計の蓋を指で叩いた。

「………」
「アルのことも大事な友達って思ってる証拠じゃないかなぁ」
「……」
「忘れるな、って書いてあるんでしょ。きっと私たちのことも忘れないよ」
「…サエナ…」
 息をつく。それから微笑んだ。

 少し、すれ違いが多くなってきた頃。
 確かに楽しい事もあるのに、空を見上げるあの人の顔がとても悲しい。でもそれは出会った時から変わらない。
 自分の中に違う影を見ていて。
 いつの間にか現れたこの時計も結局は「あちら」にエドワードを連れて行ってしまうものなのではないか、と。時計にまで妙な嫉妬をして。
 だから、その中に自分も関わりたかった。

「…サエナ」
「ん?」
「…一緒に直さない?これ。…ぼくらからのプレゼントだって」
「! うん!…あ、そういえばね!このひっかける丸い所みたいなの、シア姉んところにね――――」
 サエナは椅子から勢いよく立ち上がると、アルフォンスの後ろに回ってそのまま腕を首に巻きつけるようにして抱き着いた。
「っと!サエナっ」
「ふふー。このくらいの丸いやつ!」
 と、その目の前で丸を描き、もらってくるね!と一階に下りて行った。
「……はは」



「楽しいなぁ、全くさ」

 忘れないで。
 あなたの世界のことも。
 そして、ぼくら三人で過ごしたこの時も。

 だから、どうかこの時計を連れて行ってください。ぼくら二人は―――――。



*



「……」
 突然視界が揺れた。
 ベルトに引っ掛けようとして、ふと。
 確か、チェーンはこの太さではなかった。この輪もこんなにきれいではなかったし、材質が違う。
「……あいつら…」
「にーさん」

 時計は時を刻む。

 最後の年のあの月にアルフォンスはこの銀時計をこっそりとエドワードの持ち物に戻した。普通に返せばよかったのだが、会うことも少なくなっていたからだった。
 だから、エドワードが受け取った記憶がないのも無理はないのだ。


「…オレも混ぜてもらえばよかったな」
「え?」
「時計修理」
 ニッと笑い、ズボンのポケットの中の時計を強く掴んだ。
「えー兄さんがやったら妙な小細工しそうだからきっと断るよ、ハイデリヒさんもサエナさんも!」
 兄の顔に笑顔が戻ったから、弟はそうからかう。
「んだとー!」
「うわぁ!兄さん!!もう冗談通じないんだから!!」


 もう、時を刻まなくなった彼らはきっとこの空の上で。





時計は中編で戻ってきている、という設定(笑)。
しかし何年経ってもハイデリヒはこう…エドのことになるとちょっと暗いですね。


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