4:眠りの姫



「……!」

 一人、氷竜神殿に在ったエスナは神殿を取り巻く異変に気が付いた。弾かれたように顔を上げその方向を見つめる。
「誰? !……あ、これ、この感じ…神竜じゃ…ない…。こんな所にも来て…!?」
 ここはほぼ安全だとされ、「神殿とチキを守る役目」は実は名ばかりであった。つまり、他には誰も居ない。それにその竜たちは「本能的に神殿を守っている」筈だったのだ。本来なら神殿の内部に攻撃を仕掛けない。

 そっと扉を開け、柱の影から様子を伺った。冷気が頬を撫でる。
「!? 氷竜!あんなに? ……あ あれが、もう感情がないっていう? …嘘、見た目は殆ど一緒…?な、んで」
 話には聞いていたが初めて目にした。
 というのも、周囲は竜石に力を封じた竜族しか居らず、今まで「実際に狂った竜」というものをエスナは見た事がなかったのだ。そして、ナーガが率いた数百年前の戦でも神殿の外へ出る事を許されなかった。
 戦争の後、ナーガとガトーは五聖玉の封印の盾と牙から生み出したファルシオン、そしてそれを守る三種の神器をラーマンに封印した。
 エスナは封印の魔法の基礎を作り、渡したが、その時でさえ外の世界に連れ出してはもらえなかったのだった。

「……(あの時は置いてけぼりが嫌だったけど。…多分、ナーガ様は私に見せたくなかったんだ…)」
 姿形は知っている竜の姿。なのに、瞳だけ違う。
 竜の瞳ではなく、理性を失った獣の瞳。
 元々この地域は氷竜の居住地だった為、氷竜ばかりだが、よく見て気配を探ると他の種族も在る様だ。竜族は種ごとにほぼ居住地域が決まっているのだが、それを越境しているという事は、狂ったためか、それとも他の理由があるのか。それはエスナにわかる筈もない。
「…狂った、竜…」
 飛竜はまだいい。が、火竜は皮膚が周囲の冷気に耐えられないのか、身体がどんどん傷ついていた。
「あ…、う。……だめ…わかんないの…?傷ついてるのがッ…」

 柱に身を隠し、いつの間にか荒くなった息を押さえた。
 視界がふらつく。多分、焦点をあわせられないのだ。
「(私も、ああなるかもしれない…?竜石に封じたって…未来なんてわかんないじゃない…?)」
 エスナの胸元には竜石をペンダントにしたもの、また、お守りや魔力増幅の為としてもらった石が掛っている。それらを撫で、ぎゅっと握った。

「……あ」
 冷気がまた、身体を、建物全体を撫でる。ぱりぱりと微かな音を立てながら髪が、服が、下から凍ってゆく。
「…私、竜石に守られてたんだ…。私が生まれた時期はもう衰退が始まってた。…いつ…ああなるか分からない。あのときの私はまだ成長途中だったから。…盾にも、守られてて…。って…随分昔にクラウス兄様も言ってたっけ…」


「(守られてばっかりじゃないッ…!!何が戦いに出たい、だ…!!)」


「!」
 どん!
 脚を踏み鳴らす。自分に渇を入れるように。唇を噛み、痛みで自分を呼び戻す。
「やる事あるんだから、馬鹿!何こんなことしてるの! ――――チキ…!」
 弾かれたようにチキへと走る。

 覗き込むと相変わらず魔道の力で作られたガラスの箱の中で眠っている赤子。
 同じ髪の色の小さな頭と、小さな手。
「……は…」
 杖を抱きしめ、それから深呼吸をし。チキが眠っている箱を撫でた。
 穏やかな顔を見て、思わず笑みが零れた。

「行って来るね、チキ。 ……おねーちゃんの帰り、待っててね」
 出来るだけ穏やかに言う。そうして、微笑む。
 もう一度、今度は本当にその身体に触れているかのように優しく、指先で撫でた。



 重い扉を閉め。扉が開かないよう魔法を重ね掛け、その前に立つ。

 ああなっては、もう戻れない。
 ならば、せめて同じ竜族の手で。

「さぁ!!来いっ!!!」






*






「…嘘 だよね……?」

 間もなく、遠く聞こえて来た噂。
 それは解放戦争の終結と、アカネイアのアルテミス王女が同じ国の有力者と結ばれたと言う内容だった。
 名前など知らない。知りたくも無い。
「アンリは、…どうしたの…?」

 ひゅうひゅうと喉から空気が通る音。
 胸の神竜石をきゅっと握った。無理な使い方をした為にそれは大分傷ついてしまった。
 その所為なのか、いくら治癒の魔法を使っても身体の傷はなかなか癒えず、戦が終わった後もこうして横になっている時間の方が長かった。
「……――――」
 ぽろぽろと涙が零れて枕を濡らす。
「嫌いだ…アカネイアなんて……。王族も貴族も…! 何それ…!なんなの…!何がそんなに偉いって…ッ!!」

 身体の痛みより、数ヶ月前に会った人の子の顔を思い出して胸が痛い。
 優しい笑顔、落ち着いた声。
 竜族とは違う気、それはとても弱いモノだと感じたが、心の奥はとても熱く強く燃えている。
 とても不思議な生き物だと思った。ああ、人とはこんなに興味を惹かれるものなんだ、と。
 今までは何処か下に見ていた部分があったのだが(エスナに限らず竜族は人を下に見ている)、その気持ちも薄れてきた。
 そのように彼が滞在中は許す限り話をして過ごしたのだった。
「あんな事、言って…私」



『私は貴方の世界を守るから、貴方はアルテミスを守ってね?』



「っあ。…ひっ、く……――――。 …っ…と  痛ッ…!」
 よろりとベッドから起き上がると、引きずるような足取りでとある場所に向う。



 広い部屋にガラスの箱。
「チキ…」





竜になったら…魔法って使えないと思うのですが、…そんな事はないのかな?
まぁ、だとしたら成長途中だから、ってことで(笑)。

結局エスナってチキ守る以外何もしてないんですが、いたから必ず役に立つとか、
そういうんじゃないんです。じたばたしてもどうにもならない事だってあるんです。


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