夜明け前


「う…ん」
 ごしごしと目を擦り、起き上がる。
「うー…まだ、こんな時間なのに」
 時計を見ると早朝――――しかし、陽が短いこの季節はまだ真っ暗だ。
 暫くすると闇に目が慣れてきたから、微かに部屋の中が見渡せる。物が少ない部屋の中で一際目立った存在は壁のフックに掛かっている黒いコートだった。
 闇の中でも何故か目立つコート。
「……」




 ざり……ぴた。
 足を止めて今は遠くなってしまった丘を眺めた。こう、遠目だと分からない。あの、風景は――――。
「…荷物、コレしかないし…行けるかな…国境までどのくらいあるんだろ…とろとろ行ってもいつか着くよね」
「シア姉の所行ったら、おいしいもの貰お」
「向こうは、寒いかなあ…」
 寂しさを紛らわす為にどんどん溢れてくる言葉。独り言。
「パパのコート、…向こうまで…もつかな…もう、かなりボロボロ…。もう、ちゃんと…使ってくれてればよかったのに」
 男性用の黒いコートは、その肩、腕にはかなり大きかった。前ボタンを閉めても隙間風は入ってくるから両腕をしっかり廻す。




「元気、かなぁ…パパもママも……。!―――はぁ〜、ああ、こんなんじゃダメなのに…私より年下のアルだって一人で暮らしてるじゃない」
 ベッドの上で膝を抱えてそこに顔を埋めて息をつく。
「でも、そういうんじゃないもんね…。…きっとアルのママたちはきっと元気で、私の……はー…ぁああ…」

 がた、がちゃん。
「?…あ!うそ、もう7時!??…」
 部屋の外から聞こえる生活音にびくりと反応する。
 個人的に急いでいるわけではないが、アルフォンスが出かける時間には起きていようと自分の中で決まりごとをしていたことを思い出して飛び起きた。
 コートの隣に掛けてあった自分の服に袖を通し、わたわたと残りを着替え、部屋を飛び出すと、ちょうど出かける準備を済ませたアルフォンスが部屋から出てくるところだった。

「!…と、おはよ、サエナ」
「あ、うん。おはよう…。もう、出かける?」
「ああ、………。飛び起きてきたんだ?」
「へ!?」
 気が付かれた!?と顔が引きつる。その顔にますます笑うアルフォンス。
「ほら」
 ブラウス付属のリボンを、結いなおす。
「縦結びになってる。……と、これでいいかな?」
「う、うん…」
「……。別に、朝、そんなに急がなくていいよ?」
「!……あ、はは…。急いでたわけじゃ…。…―――あ!ほら、アル、遅刻しちゃうよ」
「あ、ホントだ。じゃあ行って来るね」


 アルフォンスが出かけた後、リビングに入ると、本当に生活しているのだろうか?と言うくらい何もなかった。朝食の皿も、コーヒーのカップも。


 一緒に暮らし始めてまだ間もないから互いに遠慮があって個人の部屋、領域には踏み込めない。「リビングを一緒に使おう」と決めてみたものの、相手は本当にそう思ってくれたのかだって不明だ。
 元々の家族ではないから何処まで関与していいのか分からない。

「ちゃんと食べてるのかなぁ。アル」
 こんなこともおせっかいなのかな、と思う。
「…と、暮らしてた時は、一人でいることなんてなかったのに…。アル、朝一人でも大丈夫…?……ダメなのは私だけ、かぁ…」
 「そんなに急がなくていいよ」は、アルフォンスにとって相手を気遣って言った言葉だ。そんなことは分かっている。
「――――〜っ…」

 幼い頃、あの黒いコートを朝、玄関先で父に渡すのはサエナの役目だった。どんなに時間が早くてもおはようを言う為だけに起きて来たことも多かった。
「お腹、空いた…」
 妙な不安は消えない。





 それから数時間後、陽は昇ってまた落ちる。
 夕食の後。
「……。ね、ねえ。サエナ……。なんでそんな怖い顔してるの…?」
「!」
 恐る恐る聞く、と言った感じのアルフォンスの表情。それに「え!?」という顔のサエナ。
「う…そんな顔してる?」
「あ。いや…違ったらごめん。なんだか面白くなさそうだったから…」
「違うよー…」
 がくり、と首を垂れ、それから上げる。

「ね…朝ごはん、……い、一緒にしたっていいよね?…あ!アルがイヤならいいんだ!…その、一人で食べるのがポリシーの人もいるだろうし…朝くらいは一人がいいとかあるかもしれないし…。今まで一人暮らしだったんだから」
「?…え、最近毎日一緒だろ?今日は違ったけど…」
「は!…あの、私が…なんか、ムリヤリ……ここ、来てるよう…な…」
「別に、いいんじゃないかな」
「無理して言わないでよ。イヤならイヤだって言って」
 売り言葉に買い言葉のようにすぐについて出る反対の言葉。
 一緒にいることを断られたくないけど、嫌々いられるのはもっとイヤだから。
「ぼくだってイヤなことくらいイヤだって言うよ。…サエナ?こんなことで突っかかってくるなんて…」
「突っかかってるわけじゃないけど…」
「突っかかってるよ。…遠慮してるでしょサエナ。朝だって飛び起きる必要ないし、こんなことを顔真っ赤にして言うようなことでもないし」
 かすかに、笑いながら。
「ぼくはいいよ。本当に。…一人でいることが好きなわけじゃないし、……。それに結構わがままなんだ、ぼく。サエナと一緒にここ使うのイヤだったらとっくに断ってる」
 苦笑して肩をすくめる。
「そっ…か。……よかった、私、楽しいから」
「うん」
「あと、…んー……ちょっと、家の事が抜けてないんだ。…もし、イヤだったら、ごめんね…」

「ああ、知ってたよ」
 思ったよりけろりと答える。
「は!?」
「あの黒いコート、お父さんのだろ?…誰も着ないのに仕舞わないし、よく干してあるし。…いいと思うよ」
「別に今のが、前の代わりとか、そんなんじゃない…」
「分かってる」
 サエナが、前の生活が懐かし過ぎて、今の生活をダブらせようと思っているようには見えない。
 一人で泣きながら歩いてきたあの道を思い出すと「一人ではいられない」とあるのだろう。でも、「誰かと」ではなく「アルフォンスと」いることを望んでいることくらい…分かる。

 そして、アルフォンス。
 わざわざ言葉には出さないけれど、今の生活は楽しいと思っている。


「ちゃんと干しておいてあげないと。次に着る時、お父さんも困っちゃうよね」
「えー、でもあれ、かなりボロボロなんだよ。ふふ。もう着られないんじゃないかなあ」



「じゃ、明日朝ごはん何にしようか」
「何でもいいよ」
「それが一番困るんだから」





ドイツに流れ着くまでの話にしようとしていたら、あまりにも想像できなくて…暫くほっといた。
…気がついたら話が脱線していた(汗)。

一緒に暮らし始めてまだ間もない時。
一人はイヤだし、何よりハイデリヒの事が気になっているし。
…だけど、はたしてあちらはどうなんだろう?みたいな微妙なセン(笑)。

大佐の黒いコートはカッコイイと思います。

寂しかったことを「一人で泣かないで」今は一人じゃないから…とどうでしょう。

12.05.2007



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