おはよう


「エド。おはよう。…いってらっしゃい」
「おはよう、グレイシアさん。……――――と」
「いってらっしゃい?」
 グレイシアはもう一度言う。困ったように笑いながら。『いつも』のように。

「…い、ってきます」
 苦笑して答える。
 …その手には大きなトランク。


「どうかした?」
「いや、なんでもねえよ」
 義手――――機会鎧を握ったり開いたりしながら、また苦笑して。
 がたたん、がたたん、とトラックは進んでいく。
「戻ってくるか分からないのにさ。グレイシアさん、「いってらっしゃい」だと。…ほら、アップルパイ、作ってくれた」
 エドワードは大きな包みを取り出してその箱を開ける。中にはとても立派なパイがぎっしりと詰まっていた。
「!………」
「『あっちの』グレイシアさんにそっくりか?」
「うん」
「…だよなぁ、オレも…。…はっ、最後まで変な顔してたかもしれない。…そんなオレにも、「いってらっしゃい」か。…戻ってくると思っているのかな」
「戻らないの?」
「…わかんねえよ」
 パイを一切れ口に運び、噛みしめながら空を見上げ、目を閉じる。




 ――――ぱしゃん、…ぎゅっ…。

「…」
 モップに水をよく染み込ませて床を拭く。
「エドと、アルくん。とうとう旅立ったわ…」
 手を止めて、さっぱりとしてしまった部屋に語りかける。
「…もう、戻ってこないのかしらね…」
 ぱしゃ…。
 水をよく含んだモップが手から落ちる。
「もう、掃除くらいしていきなさいよ…。全く、嵐みたいな子たちなんだから。それとも、また夕方には帰ってくるのかしら」
 そんな筈はない、部屋にはもう何もなくて、写真一枚だけが残っている。
「またこの部屋には違う人が入って。…周りは変わって。……この写真だけが不変なのかしらね」

「私は…続くと思っていたのよ。いつか、この部屋を出るときが来るとしても、自分の意思で出て行くのかと思っていたの」
 数年後、アルフォンスとエドワードは、何処かの研究室やら企業に引き抜きにあったりして。少し離れたところに住むことになるとしたら、サエナも連れて行く事になるのかな、とか。
 数年後、数年後…――――。

 明るい未来ばかりじゃないけれど、決して暗い未来だけじゃないとも思っていた。少なくてもここ数年くらいは朝、当たり前のように「おはよう」と「いってらっしゃい」は…言えるのだろうと。
「まさか、二人ともあんな姿でここを出るなんて、思いもしなかった……!」
 こんな治安では珍しい話ではない。
 でも。



*



「おはよう!シア姉!」

「…おはようじゃないでしょ。何時だと思っているのよ…」
 だだだだーっと階段を駆け下りてくれば、よく響くから聞こえる。
「ごめんっ!…夜遅くて…あの二人なかなか寝ないんだもん…。よく続くよねー。もう出かけたでしょ…」
「よく頑張ってるわよね」
「きっと何年かしたら、有名人になるよね。そしたら自慢するんだから。ウチのアルはこんなにすごいんですって」
「…何よ、それ」
 くすくすと笑いながら、グレイシアはサエナに仕入れの箱を手渡す。今日一日の始まり。

「ふーん…今日は、リンゴがいくつか入ってきたんだ。……。でも、なんで花屋にリンゴなんだろ……。ね、シア姉。これで何か作らない?」
「じゃあいくつか分けておきなさい」



*



 写真の前に二切れのパイ。
「ちょっと思い出して作ったの。…今、きっとエドとアルくんも食べてくれていると思うから。一緒にどう?」
 モップを床に立てかけて、今まで使われていた椅子に掛けて。
「……何年かしなくても、私の自慢よ。…アル、サエ」

 何か偉いことを成し遂げた、とかそういうのじゃなくても。
 たった数年でも、笑って過ごせたこと。『これがずっと続くといいな』と思えたこと。それらは何か『物』より不変で、それを作るのは難しいことだと思う。

「だから、自慢。……そうね、私もアルのロケット見たかったけど…。そうじゃなくていいのよ」
 こんな結果になってしまって残念だけど。
「それでも、エドはこの空の下で、…アルとサエはこの空の上で…。いい事がありますように。…ずっと…変わらず。写真よりも」




「…あいつらに、――――たまには会いに行かないと。だよな」

 目を開け、空を眺め、手に残ったパイを口の中に放る。
「!うん…!グレイシアさんにもね」
「…ああ。リンゴ買って行って…また、作ってもらうか!」








「うわ、アップルパイ?おいしそうだね」

「でしょー。シア姉と作ったんだ」
「じゃあ大丈夫だな」
「…何、その言い方ー…」





全部が終わったあとの話。

アパートを引き払った後…ですかな。
今までいた人がみんないなくなって、グレイシアも立ち上がるにはちょっと時間がかかるかもしれない。
一緒に暮らして楽しかったと思えることは「永遠」

二人だけの話になるとなんか甘げな話になりそうな題だったので、あえて映画の最後に。
映画の結末があれなので、ハイデリヒで明るい話にするのは難しいですよね。

あの後、エドとアルはどうしたんでしょうか…。


…って最後の題が随分暗くなったな…。

挿絵

2007.03.03


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