知らない言葉


「―――――」

「えっ?何?」
「…あ、ごめん」
 アルフォンスが聞き返したから、サエナはもう一度口を開いた。
「シア姉のお使い行って来るから」
「あ、ああ。行ってらっしゃい」
「んっ」

 扉の向こうに姿が消えた後、ふとテーブルに目をやる。
 そこにはアルフォンスが読めない言葉で綴られた新聞紙。――――彼女の母国語、イタリア語だ。
「……」
 かさり、それを手にとって眺める。
 サエナと一緒に暮らすようになって、…そして研究上、いろんな国の本に目を通すからちょっとした単語くらいは分かるようになったが、やはりすらすらは読めない。
「………ふぅん…」
 自分の口から出た声があまりにもつまらなそうで、自分で驚いた。
「あ…!」

 サエナは学校に通っていたようではなかったが、読み書きは出来る。それは二つの国を持つ両親が「どちらで暮らすようになってもいいように」と最低限の事を叩き込ませたから、だそうだ。
 先程、アルフォンスが聞き返したのだって、サエナの口から出てきた言葉がドイツ語ではなく、イタリア語だったからだ。


「サエナは…国が落ち着いたら帰るのかな…?」





「ただいまー」

「あ、ああ…お帰り」
「?…あれ。どうしたの?アル」
「えっ?…なんで?」
「イタリア語の新聞広げてるから」
 なるほど、アルフォンスの目の前には未だに新聞が広がっていた。あれからもう数十分は経ったというのに。
「あー…読める…よね。サエナは」
「?…うん」
「……だよね」
「…アル、…――――どうしたの?……」
「なんでも、ない。…ああー…グレイシアさん、なんだって?」
 新聞をたたみながら立ち上がり台所にコーヒーを取りに行く。
「ん、何件かに配達。全部近かったから終わりにはして来たんだ」
「なんだ、言ってくれれば手伝ったのに。そんなに何件もあったんだったら」
「うんん、近場だって言ったでしょ。…ね、何か読みたい記事でもあった?」
「…いや、いいよ」
「ふーん…でもあったら言ってね。私もこっちのは読んでもらってるもんね」
「ん…」
 コーヒーをテーブルに置いて椅子に付く。
 目の前のサエナは新聞を広げて読み始めた。たまに、たまに…その知らない言葉が口から出てくる。
「…………サエ…」
「――――Scusi?」(え?)
「あ…いや」
「っ!…えーと、ごめん、何?」
「ううん…なんでもない…ぼく、部屋に行ってるから、ちょっと作業思い出して」
「?…うん…」




 ばたん。

 扉を閉めて、息を吐く。
 そのまま暫く扉に背を預けるようにして、天井を見上げた。
「……」
 嫌な気分だ。よくわからないけど、嫌な感じ。
「…ぼくが、知らない言葉か」
 電話に出るときも、グレイシアと話す時も、そしてアルフォンスと話す時も未だに癖のように出る知らない言語。その度にまた喋り直すのだが。
 まだ、ここに来て数ヶ月しか経っていないから、母国語が出るのは仕方ないと思う。とっさに出るのは慣れた喋りやすい言葉だろう。
「でも」


 ――――嫌なんだ。

 知らない言葉が嫌なんじゃない。そんなのは勉強すれば何とかなるのだから。そうじゃなくて。
「(サエナには)」
 ――――当然のことだけど、ぼくの知らない過去があって、記憶があって…未来があって。
 もしかしたら、国の混乱さえ鎮静化すれば、両親が見つかればイタリアに帰るかも知れない。
「ぼくと……両親、天秤にかけたら…そりゃ…親だよね……。!…いや、もしかしたら…天秤になんてかけなくても…」
 かける、かけないの話じゃないかもしれない。
「そうだ、未だに…あんなにイタリア語が出るんだって……国のこと忘れられないから……?はっ、結局、ぼくは、サエナにとって…――――…?…っわ!!!??」
 いきなり体が前のめりになる。
 扉に体重をかけて寄りかかっていた訳でなかったから、その扉に思い切り背を押された感じだ。
 近くの壁に手をつき、自分を押した扉に目をやる。

「………」
 そこには。
「サエナ」
「…聞いてた、なんか、…さっき淹れたコーヒー忘れてたから」
 コーヒーを届けに来たようなことを言っているが、明らかに違う。
 顔は曇っているし、扉だってこんなに押し開けるように力を入れなくてもいい筈だ。
「わ、私…――――やっぱり…イタリア語のほうが喋りやすいし…読みやすい、でも!だからって…私、帰りたいわけじゃないよ」
「…どうかな」
 聞かれていたなら話は早い…と、アルフォンスの中で切り替わってしまったのか、思わずそんな言葉が出た。
 目を逸らして、あからさまに、気分が悪そうな表情。
「どうかなって。……アルは、邪魔に思ってる…?」
「そうじゃないよ、でも、…君の国は向こうだ。…だったら…」
「…なんで?」
「なんでって」
「私、今、ママとパパが見つかっても、帰らない!」
「どうして、ロケットが見たいから…?」
「!……それもあるけど。それだけじゃない…よ。……ア、アルも向こうに来てくれるならいいけど」
「は?」
「そんなのしないでしょ、アル。…だから、私はここにいるっ…!」
「サエナ…」
「!!……あ、ああ〜…ええと。…アルとかシア姉が居てもいいって言ってくれたら、だけど…」
「…ぼくは」
「いいんでしょ?アル…?」
「……」
「…私、ここにいても」
 普通に暮らしていた筈だ。いいか、悪いか、何て考えずに。
 でも、改めてそう聞くと少し不安になったかのようで、サエナの言葉は段々小さくなってきた。
「私…アルが…」


「………ああ、もちろん」
 アルフォンスの少し不機嫌そうな顔、それが緩む。たった一言だけだったのに。自分でも単純だな、と思うくらい。

「ふふ、よかった…!……ね、コーヒー淹れ直したほうがいいよ。ほら、さめちゃってる」
 指差した床には扉を押し開けたときに零れないようにと置いたのだろう、コーヒーカップ。その中身はもう冷えてしまっていた。

「じゃあ、コーヒー下さい、って言ってみて?」
「Un……――――やめた」
「え、なんで」
「いいのいいの!!…ね、アル。きっととっさになったら言うから、その時覚えて」
「…とっさに「コーヒー下さい」なんて言わないよ」
「あはは」
 笑いながらアルフォンスの袖を腕を掴んで、部屋から引っ張り出す。

「――――サエナ、誤解しないでね」
「うん?」
「別に、イタリア語が嫌いなんじゃないんだよ、ぼく」
「わかってる、アル、よく訳聞いてくれるし、自分でも訳してるもんね」
「…ごめん」
「なんで?」
「…いや、いいよ」



 そうか、
 じゃあ、
 君の居場所はここ、ぼくの近くだ。って…思ってもいいよね…――――?





ハイデリヒがヤキモチ妬くとしたら(前回引っ張ってんな?)。
「エドに対して」とか…他は「ロケットの仲間」…つまり「対人間」になってしまうと―――
私が書く彼の場合、絶対暗くなる(それもどうよ)。

つーか、エドに対してちょっとしたヤキモチはどこかでやったんで。


なので、…「対、彼女の過去」ってことで。

長編で本を訳してもらっていたのとは違うんです。
別に日常会話でイタリア語が出てきても構わないんです彼は
(そんなんで怒るような人じゃないし、勉強になるからむしろ歓迎かな)。

でも、何かが引き金で気分が悪くなる。
今回のは自分の言葉から出た「混乱がなくなったら国に帰る」とか
「両親と天秤にかけたら…」あたりなのかなぁ(無責任だなオイ)。

きっと、自分に興味を持ってもらえなくなることが(妙な言い方だな)すごく怖いんじゃないでしょうか。


話としてはエドが来る前か来た直ぐ辺り?
まだサエナがバリバリイタリア語が出まくっていた頃…かね?よくワカランサ。

1920年代の教育については知りませんが、今から20数年前の女子進学率が低いことを考えると…。
文字の読み書きってできない人のほうが多かったかも…?と、思ったのでこんな感じになりました。

「Scusi」は呼びかけの「すみません」ですが…、
「え?」と聞き返すと言う意味もあるそうですー。多分な(笑)。
「come」でもいいのかも。


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