平和の歌


 風に乗って耳に触れてくる声。
 窓も開けっぱなしなのだろう、通りまでその声が舞い降りてくる。

 遠くの空に吸い込まれていくような歌声。


 ――――知らない言葉の歌。
 歌にしてしまうと、もっと何を言っているのかよく分からない。しかし、元々音楽的な言葉が強いイタリア語だ。『意味が分からなく聴いているだけ』なら、…それが『よかった』かもしれない。


「あら。おかえり、アル」
「ただいま、グレイシアさん、今日はサエナ手伝ってないんですね」
「ええ、何か気分が悪いとかで。…でも歌うくらいに元気はあるなら大丈夫でしょ。…ってあまりうまくないけど」
 言いながら苦笑し、二階を見上げた。
「あはは、それ聞いたら怒りますよ」
 アルフォンスもそれにつられる。



 だから、階段を上がるまで…。リビングに行くまで…特に気には留めてなかった。

 がちゃ。
「?…ここじゃなかったんだ…」
 リビングはがらんとしていて…。今日はエドワードも遅いと言っていたからいる筈もなく。
「じゃ、部屋か……」
 部屋に押しかけてまで「ただいま」を言う必要もない。歌に没頭しているならそれはそれで構わないから。


 それから数分、止む事のない歌をなんとなく聴きながらいつものように本とノートを広げる。
「………」

 こつ、こつ。
「……?」
 こつ。

 ペンを走らせるアルフォンスの手が止まった。
「これって…」
 気がつくとノートには聞き取った言葉が走り書きしてあった。ちょうど、ノートの隅に落書きするような形で、いくつかの単語。
 聞いたまま書けばだいたいその言葉になる。

「…………」
 その言語を知らないアルフォンスがそれを書き出せたということは何度も同じ『言葉』を言っているから。
「書き出せば分かる、か」
 その『言葉』を見て息を付き、…立ち上がる。




「サエナ、いる?」
 部屋の扉の前。

「……――――っ」
 声が止む。
 慌てたような言葉を発した後、慌てて扉にぶつかるような音。

 がたんっ、
 ばた…ん。

「あ、アル、お帰り…」
「うん、ただいま」
「………」
「やっぱりそうだ」
「へっ…?」

 ドアを開けると、部屋の様子が分かる。
 ベッドの上には新聞が広がっている。その見出しは内乱や紛争がおきている…という最近では珍しくない内容のものだった。
 アルフォンスは頬に指を当てて流れている雫を拭ってやる。
「泣いてると思った…」
「う…。泣いてなんかないッ…」

「La pace e` ancora――……とか言ってたね。そこからうまく聞き取れないけど。…平和は…なんとか、って。……気になって、さ」
「あ」
「何度か出てきたからそこだけ聞き取れたんだ。――――…新聞のこと、だね?」
「…ごめん。…うるさかったよね、歌」
 アルフォンスから離れ、ベッドの上の新聞をたたんだ。
「サエナ…」


 窓の外。
 ミュンヘンの空はとても遠く澄んでいる。
 窓辺に移動してその空を眺める。
「…結局、…人一人ができることなんてたかが知れてる。…例えば私だけじゃ戦争は起こせないし、鎮めることも出来ない」
「……ああ」
「じゃあ、何で戦争は起きるのかな?機械があるから?そんなのなきゃ…いいの?」
 そう、新聞にはそう書いてあった。『そういう機械が発明された』と。
「…ねえ」
 そこでくるりと振り向いた。

「機械、か」
「そんな機械…科学、誰が作ってんの……?大嫌い…!」
「!………。サエナ」
「?」

「ちょっと昔のことだけど…」
「え?」
「…ぼくは、…ぼくが作っているロケットが完成すれば…ドイツは負けてないって世界に言える。ドイツはここまで復活できたんだって…」
「ッ…。アルっ!?」
「それが言いたいんじゃないんだ。…ね、最後まで聞いて?……――――ねえ、サエナ。確かに科学は戦争とは紙一重だ。そうじゃないって言っていても…繋がる要素はたくさんある」
「…………」
 くっ、と眉をしかめて、目線を落とす。

 こつ、こつ。
 近づいてくる足音も聞きたくないように目をぎゅっと閉じた。
「…ッ」
「でも、ぼくのは、『ぼくのロケット』は…そうならないって、信じたい。…一番最初に約束したよね。…平和な空を見せてあげるって」
「……でも」
「例えば…そう、ラジオだって、…機械だ。…機械技術が作ったものだろ?」
「…ん」

 アルフォンスは言葉を選びながら喋っていた。

 こんなこと言い出さなければよかったのに、言い出してしまったから収拾がつかない。ただ、科学が否定されるのは嫌だった。今、自分がかじりついているものだから。
 …例えサエナでも。いや、サエナだから、否定して欲しくなかった。
「機械は…科学技術は悪いものだけじゃないよ」
「………分かってるよ…」
 小さく小さく答える。
「ほら、こないだ見せたプラネタリウム。…あれだって、そうだろ?科学技術だ」

「ああ――――……」
 ふわあっと、顔が緩む。
「あれなら好きでしょ?」
「ん…」
「…だから、機械とか、それを否定して欲しくないんだ、サエナには」
「あー全部の否定なんてしてないよ!私」
「…はは、どうかな。結構本気みたいだったよ?」
 ようやく、いつもの顔が見られたので思わずそんな軽口を叩くアルフォンス。サエナもそれにつられて笑う。

 ひとしきり、笑った後、ぽつり、と。
「でも、不安なんだよ?私」
「サエナ…」
「…アルとエドのロケットの難しい話は好き。二人が頑張っている所を見るのは好き。分からなくてもずっと見ていてもいいなって思う」
「…………」
「でも、もし、機械技術の所為で戦争になって、…パパとママみたいにアルやエドやシア姉がいなくなったら嫌…。私だってそんなんで死にたくない。……そしたら否定だってしたくなるよ…」
 袖を掴んでくる。
「…ぼくは…ここにいるから平気だよ。それに、否定されるような怖いものは作らないよ?空に…宇宙に行く為の道具なんだから」
 掴んできたその手に自分の手を乗せて。
「……。そうだね、『アルの』なら平気だね。ごめん。……――――そうだ!!ダメなことだったら私が止めてあげましょう?」
「あはは」

「…約束、だもんね。空の向こう」
 涙を拭い、くすくすと笑いながら。

「ああ。きっとあのときのプラネタリウムみたいな」
「んっ!」

 ――――人を幸せに出来るものでありますように。




 そう言って笑って。手を取ってきた…。

 その手はもう届かない。

 あんなに温かかったのに、あんなに冷たく――――。




*




「…今、ぼくが作っているものは…、ぼくの物だ。…それに、君との約束の――――」



「アルフォンスは…もしかして、そういう人たちの為に…働いているの?」
「!………」

 ノーアの問いかけに、一瞬止まった。

「――――…。ぼくはロケットを作りたいだけさ…」

 ノーアから目を逸らして言ったのは…「分かっていた」のかもしれない。
 争いに使われるかもしれないと、…それをやるのは自分のわがままだと。

 もしかしたら、…君は望んでいないかも…しれない。

 でも、完成させなきゃいけない。打ち上げないといけない。そうじゃないと、自分の意味がわからない。

「…………」

 それに、向こうには…。

 約束の場所があるから。

 ミュンヘンの澄み渡った遠い遠い空の上。
 知らない言葉の…平和を願う歌が響くあの空。






久々に50題。
えーと、TAK!さんとつばささんのバトン回答を見てなんとなく思いついたものです。
お二方に感謝感激(笑)。

この辺りとても難しくて、ハイデリヒになっているのかかなり不明ですけど…いいや(いいんか)。

ちょっと長編と短編が入ってます。毎回そんなもんです。

ちなみにサエナの歌。そんな歌詞の歌は私は知りませんが、あるかもねー。
これ、言葉の続きあるんですがいいや…ぶつ切りで。「そこまでは聞きとれた」ってことで。
しかもサエナ、そんなに歌うまくないらしいねー(笑)。なんかその方がよくない?っぽくて。

ちなみに、イタリアオペラはイタリア人が聞いても何言ってるかよく分からんそうです。
普通の歌じゃそんなことないだろうけどね。


『お願い』はハイデリヒの『全てを否定しないで欲しい』でいかがでしょうか(何)。
戦争の原因になるから機械が嫌いだと言うサエナ。
でも今機械にしがみついているのはアル。
それを否定して欲しくなかったんですねー(他人事のように言うな)。
たまにはすれ違ってもいいでしょう。

挿絵

2006.02.22



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