6:道



 波の音以外何も聞こえない。潮風がアカネイアの方角から吹いてきた。

「…んっ! あぁ〜…」
 エスナはその風の強さに一瞬驚き、ローブと髪を押さえる。
「ええと、あっちがアカネイア!?」
 返事の代わりに、肩が暖かくなって、それに手を重ねた。見るとジョルジュのマント。
「! …ありがと」
「エスナ」
 それから耳元で囁く。海の音にかき消されないように。
「お前が昔のアカネイアを許せないのは解る。確かに嫌われても仕方がない。だが、それでも戦に出て、……今こうして居てくれている事は、感謝する」
「……。うんん、あの時の人は今の人たちじゃない。だから、恨み言言うのも嫌うのも間違ってる。今いない人がいた時から…もっとずっと前の事なんだもんね」
 見上げ、そう言うエスナの頬に触れ、その手で髪を梳く。エスナはそれを両手でつかみ、祈るような仕草を取った。

「あは…、随分年上だねえ。私」
「そうだな。 ま、気にはならないさ」
「あれ、年上好き?」
「どうだか」
「あは。 でもねえ、何より私は、ジョルジュが来てくれたことでもう……十分なんだ」
 きゅ、と手を握ったまま。
「へえ?それで十分とは随分安いな」
「え。そ、そう?」
 見上げると、先程とは変わり、何処かからかう表情のジョルジュ。エスナはそれに思わず頬を膨らませる。
「むっ…!」
「はは」

「もうっ…。 あ、そうだ。この指輪、大事にするから。カダインのお守りだもんね。こういうのも覚えててくれて、すごく嬉しい…。だって確か言ったのって一度だけだったよね。ほら、カダインに来てくれた時」
「ああ、そうだったな。 …お前の事だ、カダインの聖堂がいいー。なんて言い出しそうだが…。そちらにするか?」
「……。うんん、何処でもいい。それにここはパレスに続く道、…連れてきてくれた…」
「……」
 大事そうに両手でその環を包む、それをすいと取ると、
「?」
 エスナの左手を取り、カダインでの「守りの指」とされているその指を、つ、と撫でる。
 今は司祭の祝福を受けた細身の指輪が収まっているが、それはそのままにし、重ねるようにそこへ通した。優しい銀色の環が二つ、光る。
「もう、返す、なんて言うなよ」
「はい!…ふふ」
「こっちのは、パレスに帰ったらな」
 とん、と今度は薬指に指を置き。
「! う、…うん」
「……。 なぁ、お前がこの大陸を守る、っていうのなら、俺は止めはしない。…アカネイアの騎士としても、個人的にも」
「!」
「だが」

 取ったままの手、その手の平に唇を当て、それから名が彫られている箇所にも。
「! っ、ジョルジュ…」
「――――言ったろ、お前だけが使命感にかられるのはおかしい、ってな。一人で抱え込むな。そう器用じゃないんだ。…何処に行っても探してやるからずっとつけてろ」
「ん…!」

 空いている腕で身体を引き寄せ。エスナもびくっと反応はしたが、身は引かなかった。
 自然、交わる視線。
「………」
「……――〜っ!」
 真っ直ぐに向かってくる蒼い瞳に顔が熱くなるのを感じ、思わず目をそらしてしまう。
「………。おい、先が思いやられるぜ。そんなんじゃ」
 呆れたような、何処か笑いが篭っているような声音と共に指で頬を撫で、再度向かせる。
「今度は逃げるなよ」
「…に、逃げてなんか……!」
 くす、と笑う空気の流れが頬に当たり、次に受けた感覚は唇に柔らかいもの。
「っ…」



「……誰かいるって、驚いちゃうなぁ」
「あん?なんだそれは」
 暫くして、するりと腕から抜けて欄干に背を預けて寄りかかり、船を見る。
「こうしてても、いろんな人の声が聞こえてきたり、誰か走ってたりするバタバターって音とか。こんなに音も聞いたの久しぶりで」
「………」
 は、と苦笑しながら息をつき。
「パレスに行ったら驚いて倒れるんじゃないか?」
「ふふ、だね」
「………。 もう休め。言ってることが「おかしい奴」だぜ」
「―――ん。ああ、そうかも。あの戦争終わってから身体動かしてないからねー」
 笑い、伸びをする。
 ジョルジュが歩き出したのを、とことこと後ろから付いていった。


 それから、「また明日ね」と、それぞれの部屋に戻ったまでは良かった――――が。
「杖…?」
 ジョルジュの部屋にあったのはエスナの杖だった。
 髪や瞳の色と同じ深い薄荷色の石。とくん、と波打つように見える内包されたもの。眺めているとふと、エスナの瞳を思い出し、息をついた。
 明日の朝会うのだから、普通ならそのままでも良い。

 だが、

「………」
 ラーマン神殿に居たつい先日まで、これはずっとその手にあった筈だ。
「ふん、世話が焼ける」




「おい、鍵くらいかけろ」
 あっさり開いたそのドアに、思い切り呆れた顔をしながら押し開け、中に足を踏み入れる。

 直ぐに目に入ったのはベッドに腰掛けている姿。外套の司祭のローブや装飾、髪留めを外した状態だ。軽い布で出来ているダルマティカのみとなったその姿は余計に無防備に映る。
 こうして声をかけなければ気がつかなかったのか、と言うくらい周りの気配を感じていない。
「全く、危なっかしい…学習能力ないのか?」
「! あ あれ、ドア…、ああ、鍵」
「ほら、大事な物なんだろ」
 何処か歯切れの悪いエスナの言葉を無視して杖を渡した。
「! あ、ありがと。 ……あの」

「―――…謝るなよ」
 エスナの言葉に言葉を重ねた。
 歯切れの悪い理由、わかっている。
「!…」
 驚いた顔で見上げる。
「そんな顔の時は大体そうだ。…連れて来たのは俺だろ。他人行儀も考えモノだな」
「そうしてるわけじゃないんだけど」
「…それ、クラウスの…あの砦から拾ってきた石か」
 それ。とはエスナの手首にくくってある、クラウスの帽子の飾り。
 後で分った事だが、クラウスの神竜石だという事だ。曰く、随分と小さくなったからやはり竜に戻る力はないらしいが。
「ん」
「やれやれ、妬けるな」
「は!? 何言って…?だって兄様だよ!?」
「…冗談。まあ、半分本気だが」
「…もう」

「……で?」
「あ、ん、……。私、ちょっと怖い。人と、会うのが…少し、怖くなってる。今、船にいる人ってみんな知らない人だからかな」
「……」
「あはは、なんでだろうね。…あーそういえば、最初にカダインに行く前もこうだったかも」
「カダイン?」
 す、と見上げた目。

「カダインてね、いろんな人が居るから、それでもまぁ…まだマシだったかな。こんな髪色だからマケドニア人って言えないし、マチス兄さんにも周りが怖いなんて悪くて言えなくて…。カダインの学校に行きたいって言ったんだったかなー確か」
 髪に触れ、それから、きゅ、と手を結び。

「……」
 ジョルジュは背を壁に預け、じっと見据えた。
「何処でも一緒なんだよね。マケドニア人じゃない子があの家の子で居る事を嫌に思う人もいて。まぁその前に拾い子だしね。……それでも、あのパオラたちやミネルバ様は良くしてくれたけど。 ……っ あ、ああ〜…」
 くしゃくしゃと髪を掻く。それから、あはは、と笑い。
「?」
「ごめん、なんだかわかんない。眠いと変なこと言うよね。 ――――ああ、杖、ありがと」
 よろりと立ち上がり、先程受け取った杖をベッドの脇に立てかけた。
「ね、明日、もし起きられなかったら起こして? あは、寝るって最近からで久々だから。……ほら!明日私を起こす役の人も早く寝て?」
 笑い、肩を竦ませる。

「起こしてもいいが、ちゃんと起きろよ。…起きなかったら置いてっちまうぜ」
 合わせるように、ふ、と笑う。
 部屋を出て行こうとしてサイドテーブルが目に入った。
「……」





こっちのほうが「しさいのゆびわ」ですかね。
何で「新」はしさいのゆびわなくなったのーとミサカはミサカは地団太を踏んでみる!

なんとなくループしてる回ですね…。
それはさておき。エスナってぷち浦島太郎状態なんじゃないでしょうか。


 NEXT TOP