張り紙


「…なあ」
 エドワードは本から目を離し、向かいのアルフォンスに話し掛けた。
「はい?」
「あいつ、いつまで『着替え中』なんだ?」
「……朝から、ずっとですよね。あの張り紙」

 ここでいう『いつまで?』というのは、『この状態になってから』もうかなり時間が経過した…という意味も込められている。
 彼らの視線の先――――。(ここからは見えないが)サエナの部屋のドアにはこんな紙が貼り付けてあった。




 この張り紙の内容からして、普段はノックの後、すぐに部屋に出入りしていたことが丸わかりだ。
「……寝てるんでしょうかね?」
「着替えてか?」
「さあ?…」
「服買ってきたなんて話聞いてないけどな」
 部屋に篭っているのは個人の自由なので、とくに口出しする気はないが、なんとなく拍子抜けする。
 リビングにアルフォンスやエドワードがいれば、今までの行動パターンとして必ず顔を出すからだ。

「「…………」」


 ――――とんとんとん。
 階段を上がってくる音。リビングのドアにはカギがかかっていなかったから、数回ノックの後、扉が開く。
「……グレイシアさん」
「二人ともいたのね。…じゃあ、サエは部屋、か」
「まだ着替え中らしいけどな」
「ああ、そうねえ」
 苦笑して。
「どうかしたんですか?」
「ん〜…ううん。着替え中なんじゃないの?」
 グレイシアはそれから何かするわけでもなく、そのままリビングを後にした。途中、サエナの部屋に寄って行ったようだが、やはり意味がわからない。

「グレイシアさん、何しに来たんだ?」
「さあ…」




「ん……」
 ごろん。
「う〜……ん」
 ごろごろ。
 小さく寝返りを打つ度に、少し布団がずれるから、うなりながらそれを引っ張る。

「頭…痛い…」

「まだ、熱下がらないわね、ちょっとだけ高いみたい」
 グレイシアはずれた布団を直し、かけなおす。
「…風邪なんか引かないのに…油断したぁ…」
「イタリアと同じような感覚でいるからよ。ここ、寒いんだから」
「うん〜……」
 とろとろと、のろい動作で薬を受け取り、流し込む。
「まず…いッ」
「わがまま言わない」

「……アルとエドは?帰ってた?」
「ええ、もう6時よ。二人で本読んでたわ。…もう、何あの張り紙。逆に不審じゃないの」
「風邪引いた〜なんて言えないもん」
「話してもいいと思うけど?一緒に暮らしてるんだから」
「ダメだよ〜…。『着替え中』なら入ってこない、でしょぉ……」

 しゃべりながら、うとうとしてきたようで、またまぶたが落ちてくる。
「明日にはよくなればいいわね。…流石に明日まで『着替え』をしているわけにもいかないでしょう…?」




「やっぱりおかしいですよ」
 さらに、あれから数時間後。
 夕食はグレイシアが届けてくれた。……二人分。
「ほっとけよ、ホントに着替えてたんだったらどうするんだ?」
「…着替えに10時間もかかりますか?」
「まあ、なあ…。これも『二人分』だったし。グレイシアさんは知ってるみたいだから、問題はないと思うけどな…」


 がちゃ。


「…………あ」
「なんだ、出てきた――――って」

 リビングの扉を開けて、テーブルの横を通っていけば、台所だ。
 二人はその不審な姿に一瞬目が点になる。まさか、こんな格好で出てくるとは思わなかった。

「着替えって…寝巻きにだったのか?」
「そうじゃないでしょう!?」

 特に二人を意識することもなく、ストールをしっかり前で留めてふらふらと、台所へ。
「水……」

「サエナ!」
「あ!」
「なんだ、具合悪かったのか?」
「言ってくれれば水くらい持って行くのに!」
 駆け寄り、顔を覗き込むアルフォンス。
「はっ……!!った〜!!もう、…あ…。
いま、まで…騙せ…てたのにィ………あ、う…
 言葉の最後の方はふらふらしていた。
「騙せて…?………――――サエナ」
 ため息。
「…バカなヤツだな、具合悪いならそうだって言えばいいだろ」
「バカって言うな〜…」
「ふうっ。…いいから、部屋に戻って。…水、持っていくから」

「アルとエドは入ってきちゃダメ…だからね」
 部屋に押し込まれる寸前、そんなことを言ってドアを閉めた。



 ――――うかつだった。
 リビングに行けば二人がいるのは当然であって。
 ああ〜…今までせっかく黙っていられたのに。これで明日の朝にでも熱が下がれば何事もなかったのに〜…。
 無意識のように水を求めて行動したのが悪かったなあ。


 うとうとうと。


 ――――ひや。
 額に当たる中途半端に冷たいもの。
 …いや、これが『冷たい』のではなく、サエナの額自体が熱いから、今は何でも冷たく思えるのだ。

 それが気持ちよくて、両手でそれを掴み、頬まで持ってくる。



「シア、姉……?」

「残念でした」
 笑顔。

「…アルっ!!?」
 がばっ、と起きたいのはやまやまだが、起き上がるまでの元気がなかった。
 そして何故かアルフォンスの手にすがっている自分。慌てて放す。
「!?……なんでアル…ダメだって言ったじゃない…」
「いいから、病人は黙って」
「ん〜…もう、ダメ、早く外出て…!もうだいぶよくなったから…平気、だってば」
「いやだ」
「アル〜…」

「…なんで、ウソなんかついたの?」
 少しアルフォンスの声のトーンが下がったから、サエナは首をそちらに向けた。
 俯き、寂しそうな目をしている。

「………アル」
「自分のときは黙ってるんだ?…ぼくには『一人で苦しむな』って言うのに。…酷いよね?」
「…だって」
「『家族』だってよく、言ってるじゃないか。……ぼくだって出来ることはあるよ?」
「うつしたくないからでしょ…」
「………サエナ」
「でも、ありがと……」

「…だいたい、水だけで水分補給ってのがよくないんだよ。…多分」
 テーブルに置かれた水のボトルを見て、ぽつり、と言う。
「え?」
「はい、これ飲める?」

 ゆっくりと起き上がらせて。
 アルフォンスから手渡されたコップの中身はやはり水のように見える。
「ん。…あ……ちょとだけ…甘い…?」
「砂糖と塩。……塩分摂らないと、だから」


「サエナ」
「…ん?」
「『着替え中』なんてさ。ぼくは他人じゃないんだから。…あんなウソついて、苦しい思いしてることないよ」

 飲み終わったコップを受け取り、ゆっくりと寝かせる。
 少し冷たい手がサエナの額にまた触れた。
「…もう少しかな。明日にはよくなる…」
「……ん…」






「おはよ!」
「よお、『着替え』は終わったのか?」
 にやにやと意地悪げな笑みのエドワード。
「おはよう。随分長かったよね。『着替え』」
「バカだよな〜」

「う〜…ごめん…」

「よく、なったみたいだね」
「うん、ありがと」






病気なのをウソついているのは「優しさ」なんでしょうか?
アルにうつったら大変だもんねえ、きっと。

さてさて、「塩と砂糖水」…つまり水分補給の飲み物みたいなやつ。
この為に医療サイトをはしごしてました(笑)。
塩2.5グラム、砂糖24グラム…水700ml…に何故かトマトジュース300mlとか(いやん)。
これをアルが作ったんだろうか。

2005.11.18



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