第10話:天界―



 普段、降りない地下。
 誰も来ないようなところでも礼拝堂(らしいもの)が存在している。
 幼い頃は「何でこんなところに…」と思ったが、最近になってこの床の細かいモザイクの配置が破魔のまじないのようなものだと知った。きっと聖母の森にあるヤツと似たものだろう。
 魔法を使うものの特権なのか、それともここに鎮座している天使の像が見たいのか、エスナはここの雰囲気が好きだと言っていた。だから、よく来てはいたようだけれど。

「流石…と言うべきなのか?天使様」
 魔法というものを扱えない自分だってわかる(自分の癒しの手は魔法とは性質が違う)。任務中に肌で感じた魔法。
「…守りの、印か…これは」
 エスナがいなくなる前、何処に行っていたのか知りたくて。よく考えたらこの場所だと思った。
 部屋の中央、法陣の中に足を進めると、魔法陣はあっけなくロクスを招き入れる。傍にいると感じるあの治癒の力と同じものだ。
「やっぱり君はとんでもなく自信過剰だぞ」
 エスナに言った言葉がまた出てくる。自分の身を守れないヤツが、どうして民を、国を守れるんだ、と。
「…天使なんて、神なんてホントにいないのかもしれないな…」




 ――――壁の細かい彫刻にこつんと頭をつけて目を閉じた。
「…ミカエル様」
 知らず知らずに大天使たちの名前が出てくる。『私は守護天使ですから』と大口叩いておいて未だにこの状況がつかめない。それどころか日をおくごとに痛みをます翼に気を取られてしまって。
「今更助けてほしいなんて言いません。でも、どうか…分からせてください。私はっ…何をすれば…いいんですかッ……」
 壁についていた手がずるずると下に下りていく。
「いやだ、もう……帰りたい…よぉ…」

――――何処に?

「…………ッ」
 ――――何も知らない、分らない振りをしてロクスの傍にいればこんな悩まなかったかもしれない。子供たちと遊んでいられたかもしれない。
 でも、それが出来なかったからセシアに会いに来たんじゃないか。
 セシアに会えず、こうやっている一人でいる時間がやけに長くなって、どうしたらいいか分からなくなってきた。
 この庵の中にいるからあまり気がつかないでいられるが、たまに何かが鳴く声が聞こえる。それは森の動物じゃないことだけは確かで。襲ってこないのが不思議なくらいだ。


 それから、夕方になって雨が降りはじめる。葉を揺らす音がちゃんと聞こえてくる。
「雨…?」
 天界は本当に見ていないのだろうかと、空を見上げてみても何か見えるわけではなく。
「んッ……ぁ…!」
 背が痛みを増して熱を持ったようになってしまって。
「…どうして、翼だけ…ッ!?」
 よく分からず、とりあえず休もうと目を閉じたが、直ぐに瞼の奥に見えたものの所為で目を開けた。
「…雫」

 先日――、テーブルから落ちたインクの瓶。
 その雫が怖かった。何かに汚されそうな気がした。
 雷のようにぱちぱちといくつかの画像が一瞬だけ流れる。その中には確かに笑っているものもあって。
 一番に目の前に映ったもの。

「……………白と」

 あの戦いで、翼に受けた天竜の血。
 過ちは繰り返したくないから――…とかより先に(もちろんそうだけど)、反射的にかばって受けた血。


「あ…?」

 どくんっと心臓が高鳴った。胸に手を当てて、ちゃんとここに自分がいるって確かめて。
「ロクス……」


 ――――良かった。離れていて。血を受けたのが自分で。


 一瞬でたくさんの想いが頭を駆け巡る。あまりに想いが多かったから楽しいことまで思い出してしまう。
 教会で子供たち相手で遊んだこと。傍にいられたことの嬉しさ。抱きしめられた事。なんでもなかったように見えた普通の日。
 震える手で十字架ごと自分を抱きしめるように腕を回した。
「はあっ……はあ…」
 苦しくなっていく息を無理に押さえようとして涙が出てくる。それを拭って、また上を眺めた。
「…………なんだ、簡単なことじゃない…」
 少し微笑んで。
「大丈夫、ずっと………」




ようやく混乱の意味がわかってきました(爆)。

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