第１話：聖王国の教皇―
「………（いや…）」 ――いつもの通りに呼ばれたんだ。 自分を名前で呼ぶヤツはだいたい借金取りか「あれしろ、これしろ」とうるさい教会連中だ。 …彼は、自分にそう言い聞かせ、いつもの調子を取り戻した。『またヘンなのが来た』と思いなおして、 大聖堂、教皇庁へと続く階段を昇りながら、彼――ロクス・ラス・フロレスは振り返る。 ばさり、と紫色の法衣が風をはらむ。銀色の長い前髪が同じように風をかたどった。 「（はぁ！？？）」 いや、もう…本当にヘンな奴、だ。 予想を大幅に反したので、彼は少しばかり目を見開いた。紫色の瞳が困惑に揺れる。 「（な、何の冗談だよ。それは）」 大聖堂の中はいつ見ても薄暗いものだ。 柱に括りつけられた無数の蝋燭と、教会に訪れる者たちが祭壇に捧げる小さな蝋燭たち。それらを収縮させても太陽の光には及ばない。 天窓からの光の帯が床の大理石のモザイクに落ちる。薄暗いからこそ出来るはっきりとした光の帯だ。 その効果を雲間から漏れる光である天使の梯子と同義にしているのだろうとロクスは勝手に思っていた。 その天使の梯子、そこに居たのは色素が少し薄い金の髪の女性。髪の長さはそう長くない。 大きな蒼い瞳でこちらを見上げている。目が合うと、少し首を傾げながらふわりと微笑んだ。 周りの薄暗さと、その梯子の柔らかい光。純白の翼。 「あなたは、…ロクス・ラス・フロレス、ですか？」
「はい、そうですが…貴方は」 その背中のものは飾りか？…などと思ってしまう自分は本当に教会関係者かと自分で疑ってしまう。 動揺を悟られないように、ゆっくりと言葉を返すが、だが、目だけは「冗談だろ」と忙しなくその娘のアラを探す。 「（作り物だろう、それは！ナターレ過ぎたばっかだぞ！いや！ナターレもこんな奴は見た事がない…！）」 明るい色合いの衣。薄着を禁じられてる大聖堂なのに、どうやってここまで来たのだろう。 ロクスの顔がひきつった。 「……」 少し身動きする度、しゃらりと一緒に動く装飾品は華美であって過剰に見えたが、おかしいわけではない。金銀で作られた台に不思議な色合いの蒼や赤色の宝石が埋め込まれている。 身の丈の二倍もありそうな翼は鳥のそれのように、微かな風にも揺れ、そして意思を持ってはたはたと動いているように見える。 そしてその身に纏う空気。 「っ…」 彼にはとある能力がある。それに加えて幼い頃から教会暮らしをしていたのだ、こういった『空気』を感じ取る力は恐らく一般人より高い。 「（天使…？）」 そういえば、大聖堂の地下には一体の美しい天使の像がある（いや、天使の像自体はたくさんあるのだが）。それはとてもやわらかく微笑みながら胸の前で手を組み、祈りを捧げている像だ。 「（……似ている？…まさか）」 「ええと、私は天使…エスナ、と申します。貴方にお願いがあってきました」 「は？」 今までの思考がぴたりと止まり、今度は情けない声が出てしまう。 「（自分で天使って言ったぞ…本物なのか？）」 一方で『天使』等と言う言葉は女性をいい気分にさせる褒め言葉だと思っていた節もある。 だからロクスは今度は値踏みする様にその『自称天使』を見据えた。 前述、幼い頃から教会暮らしをしている理由、その能力のおかげで確かにその空気は感じられる。だが、その一方でたくさんの汚い人間たちを見てきた。嘘に塗り固められた人間も。 だから、彼は人を疑う事も慣れていた。いや、疑う事しか知らなかった。 「僕のような者に天使様が………」 ロクスは語尾を少しにごらせた。 『僕のような者』だ、本当に。 ――本物でもなんでもいいが、この天使とやらは人を見る目があるのか、ないのか。心の中で笑ってしまう。 「ロクス…？」 自称・天使は自分をおどおどと見上げている。皮肉を感じ取ったのか？微笑みが消えている。 「おいロクス！！」 （ロクスにとっては）今度は聞き覚えのある声が大聖堂に響いた。 案の定、ロクスは驚かなかったが、天使はびくっと肩をすくませる。ロクスはそんな天使を横目でちらりと見ながら、「むしろこっちの方が日常だな」と笑った。 「…。ああ、すみません。天使様…友人が僕を呼んでいます。ちょっと待っててもらえますか？」 天使は何も分からずこくこくと頷くと、ロクスは声のする方向に消えた。 「はあ、…びっくりした…いきなりあんな声…。ここ教会でしょ？静かにするところだと思うんだけど……地上って違ったかな…？」 エスナはまだどきどきと鳴る胸を押さえながら、むーん、と以前の任務で見た教会を思い出す。それからすぐに、いやいや、やっぱり静かにするところだー…と息をついた。 「勇者…か」 それに紐付いてその任務の勇者たちが思い出された。 当初、誰一人として『俺が勇者だ。やってやるぜ！』と言う人はいなかった。 それは仕方ない。堕天使たちは工作がうまいから、人が表立って混乱を感じられるわけではないのだ。人が混乱を感じ始めたらもう、その地上は終わりだという事になる。 だが、もし混乱が見え始めていたとしても、『自分が勇者だ』と立ち上がるだろうか？ 「………」 もう、誰にも戦って欲しくなかった。自分は見てるだけ、傷つく勇者を見てるだけは嫌だった。責任転嫁のようで。 人に戦いを押し付けるのも嫌だった。天使と堕天使の戦いに人を巻き込まないで欲しいって…。思った。 「…でも、私は天使だから…地上に手は出せないから」 ふとエスナはロクスが消えた方向を見つめた。
ロクスにも、これからお願いに行く、まだ名も顔も知らない勇者候補たちにも。 「こんなこと思ってたら怒られちゃうかな。どうしても天界の門は守らなきゃいけないから……。でも、人に戦いを強要する理由には…ならない」 さぁ、戦いのことは少し忘れよう…。 エスナは息を大きくつく。 「あれ…」 ついたついでに、ふと、身体に異変を覚える。少し、重い。 「あ……。そうか、地上は力が制限されてる…。うう〜…ん…」 目を閉じてゆっくりと息を続けていると違和感は大分良くなったが、この気分は任務終了まで付き合わなければならない。 身体としての実体をいつも持っているわけではない。天使とは霊的な存在なわけだが、地上に降りるときは触れられる程度の身体を持つことが許される。 呼吸、飲食、人間界の衣装を身に纏う――といった、「なんとなく人間らしい事」が出来るようになるのだが、それを動かすのは慣れていない。 「だいじょぶ、そのうち慣れるから…」 気を紛らわすように、今日、ここに来るまでを思い出した。…と言ってもそんなに思い出すことはないのだけれど。 「そういえば、…ロクスは……」 自分が声をかけたとき、振り向くまで間があった。結果的に振り向いたのだから、聞こえなかったわけではないのだろう。 …あの間は…なんだったのだろうか。 「………」 それと、天使と名乗った後の。 「（諦めたような目…？彼は……）」 「ったく！返すもんは返すって言ってんだろ！！これ以上ガタガタ抜かすな！！」 「！！？」 びくっ！！ 折角おさまったどきどきが再発してしまった。 教会・大聖堂と言うものはその構造上、音がよく響くようになっている。 その結果、今の罵声がわんわんと響いてしまう。 「！？ な 何事…！？」 硬直しているエスナ。やっと大聖堂がもとの静けさを取り戻したとき、ロクスが戻ってきた。 かつかつ、と靴の音をさせ何事もなかったかのように。 「……（はー…）」 「すみません、天使様。お話のほう、後にしてもらえますか？もう副教皇が待ってると思うので」 ロクスはエスナの返事も聞かずに今度は聖堂の奥に消えた。 エスナはただ、目を丸くしたままこくこくと頷くしか出来なかった。「はい、どうぞ…」と誰も居ない空に付け加えて。 「……びっくりした」 ぽつんと言ってから、ロクスが消えた礼拝堂の方を見る。 「行ってみよう…か」 天使だから感じるのか。礼拝堂の空気はぴんと張り詰めてはいるが、優しい感じがした。冷たくなった心を解かしてれるような。 エスナはきょろきょろと天井や壁の像を見回しながら歩みを進める。 天使の像、預言者の像、聖人の像――――それらが見下ろしてくる。大天使であろう像があられると思わず脚を止めてぺこりと頭を下げた。 それから静かな声が聞こえる。 「（……あ、あの人が副教皇…？）」 彼の言葉にあったと思われる法衣姿の老人と、ロクスが向き合っていた。 「……ここまで聞こえたぞ。お前の大声が」 「すみません、友人がしつこかったもので」 「（友人…？地上はあれを友人って呼ぶの…？）」 よくよく話を聞いていると、あの「友人」は借金取りだと言うこと、ロクスは多額の借金を抱えていることが分かった。 「………。借金。…お金を借りてるって…こと？」 天使には遠い言葉でよく分からない。なんとなく以前の任務で覚えた知識を総動員する。 それから「ああ…」と小さく声を漏らした。 「ロクス、この聖都から出ていけ」 話が変わった。 「少し旅をして頭を冷やせ」 「副教皇！しかし僕は…」 言い争いの後、小さく開いていた扉を、ばんっ！と勢いよく全開まで開け、機嫌の悪そうなロクスは礼拝堂を後にした。エスナがいたことも気がつかない様子で。 エスナは副教皇とロクスを交互に見て、 「………どうしよう…」 見える筈もないが、副教皇の方向へと身体を向けて頭を下げ、それからロクスを追いかけた。 「ロクス！！」 飛ぶことも忘れて、ロクスを走って追いかけていた。その為、呼吸が荒い。 「おっと、天使様。そちらでしたか。それでお話って？」 「はい、…あ、お時間取らせてしまってすみません」 先程からいたのですが、と苦笑し。 一度呼吸を整え、エスナは口を開いた。 ――――自分と共にこの地上の混乱を払う役目を負って欲しいと。 丁寧に、言ったつもりだ。 ただ、時折言葉に詰まる。これは前の任務からそうだった。自分の中で戦いを強要する事にいまだに引っ掛かりがあるのだろう。 「…引き受けてくださいますか…？」 うまい説明ができたかどうかは別にして、言いたい事は全て言った。勇者として、お願いする事は。 ロクスは顎に指を当て、考える仕草をする。 考えるついでに目の前の天使を見据えた。先程は多少距離もあり全身で捉えていたが、こうして見ていると、街で見る美人と言われる女性とはまた違った美しさがある。 真っ直ぐと見つめてくる大きな瞳。 「……」 マリアライト、ロクスの頭の中にふと浮かんだ。それは薄い紫色の石の名だ。 紫が聖なる色とされているエクレシアでは紫色に執着し過ぎている感じる節がある（ロクス曰く）。教皇を示すロクスの法衣も最上級の紫色だ。 「（蒼い目だと思っていたが…こうして見ると薄い紫が入っているんだな）」 「…ロク…」 近付かないとわからない程度の紫と、深い蒼の瞳。 蜂蜜のような髪の色は陽光に照らされて光の色となる。 「（だけど、僕にはそんなことは関係ない…）」 「…？」 「すみません。天使様……。自分には少々込み入った事情があるので、今はお返事することは出来ません…」 「！」 「やっぱり」と少し肩を落とした。でも、その反面、良かったとも思える。 人の生は短いと聞いている。突然現れていい返事が聞けるとも思っていない。 「そうですね。こんな事突然言われても困りますよね…？ わかりました。聞いてくれてありがとう、ロクス」 微笑む。 「！？ ……っ」 何故かその笑顔に、きゅ、と胸が痛んだ。 もっと、突っ込んでお願いされると思ったのに、何故、微笑む？ 「では、…突然お時間取らせてすみませんでした。良い旅を」 「旅？…ああ、今の話を聞いていたのですか？」 「え？今の…？ ああ！聞いてもいましたが、そうじゃないです。なんとなく、時間を旅しているとか、そういうの、聞いた事があったので」 天使は一礼して翼を広げた。見事な純白が陽光に反射してきらめく。 「……」 ふわりと足が地上を離れる。青い空を背負って。 他の勇者候補とやらのところに行くのか。…もしかしたら、もう来ないかもしれない。 視界が少し上がったから、その目はこちらを見下ろしている状態になる。 あの聖堂の天使の像。あれのように柔らかい表情。誰かを見ているわけではなく、全てを見ている天使の姿。 「天使さ……いや、エスナ！」 「？… はい」 「わ、わかった。引き受けよう」 「え…？引き受けてくれるのですか！？」 「二度は言わない」 「あ、…はい！！お願いします！！ありがとうございます！ロクス…！」 そう、笑顔、ではある。 どこか本当の笑顔ではない。何故そう思うのだろう。 「いいえ、美しい天使様。自分にできることがあったら何なりと（……ま、関係ないけどな）」 ロクスはああ言ったものの。 「（それでよかったのか…？まあ、旅に出なきゃいけない予定らしいからな。こんなこと一生に一度あるかないか…の出来事だろうし）」 こんな風に自分に言い聞かせていた。 ――まだ、アルカヤの混乱さえ表に出ていない、ある昼下がりのお話。 |
|
長ッ！！！（汗）す、すみません！！だらだら〜。 やってしまいました出会い編。別名「私の記憶が正しければ…」記憶の世界ですよ。 セリフわからんし、セリフを書いてると長くなるし。かなり変えてるし…まあ、いいかなと。 借金取りとの会話で私がびっくりしたので、そこは書きたかった（いいのかそれで）。 ああ〜。背景描写がうまくなりたいです。 苦手分野なのに、寝起きで書きました。どうしようもないです。 ＮＥＸＴ ＴＯＰ |