こんにゃくの概要
こんにゃくはサトイモ科の多年草植物の根茎で、インドシナ半島が原産地といわれ、東南アジア・中国に分布している。日本への伝来は、縄文時代という説と仏教文明とともに中国から渡来したという説があります。
こんにゃくは古くから食用にされていたが、記録によると「倭名類聚抄」(わみょうるいしょうじょう・931〜937年)に中国で古く食されていたことが記述されている。
日本では、平安時代になると「拾遺和歌集」の和歌の中にこんにゃくの歌が見られ、こんにゃくを加工して食べるようになったのは、この頃からと言われています。
鎌倉時代には仏の供物として用いられた記録があります。
室町時代になると、都の路上でこんにゃくを売る姿が見られるほどになり、精進料理にも使われはじめました。当時は一日二食だっために間食があったらしく、僧院では「糟鶏」(そうけい)といって薄いみそ煮にしたこんにゃくおでんのようなものを食べていたそうです。
一般の人々が食するようになったのは、江戸時代にこんにゃく玉の製粉加工が発明されてからであるとされています。それに伴いいろいろな文献や記録が残っています。
貝原益軒の『養生訓』の中で「精根尽きた」ときには、だいこん・れんこん・こんにゃく・こんぶなどのコンのつくものを食べればよいと記されています。
同じころにできた当時の百科辞書の役割をした『倭漢三才図絵』には、「俗にいう、こんにゃくは、腹中の土砂を下ろし、男子最も益ありと。そのよるを知らずといえども、さい病(呼吸器病)を治すに効あり」として紹介しています。
また、弥次さん喜多さんでご存知の『東海道中膝栗毛』の中で、羽津(津市)の宿場の夕食のお膳に名物の田楽の記述が見られます。
こんにゃくは、漢字で「蒟蒻」と書きますが、蒟とは土の中にできる球形の茎のことであり、蒻とはこんにゃくの持つ特徴を表しています。種芋から収穫までの栽培には、温度・湿度に影響を受けやすく非常に敏感でデリケートな為、生産者は病気の発生に非常に気を使います。