天の川、星への祈り、君が為


「姫さまは〜…――――でしょう?」
「え…」
 その問いに、驚いたように目を見開き、それから。
「うんん、そうだなぁ…。きっと、………そうはならないと思うよ」
 微かに眉を顰め、苦笑しながら。



*



 ―――――あれから、時は流れ。

「今年はお願い事どうするの?」
「うーん…。あ、謙信様はどう…」
「私から聞いたんだよ。先に答えるのは沙那姫」
「まぁ…。で、でも思うんですけど、…年末の他神のお祭りの時も…なんだかお願いしてばかりですね」
「ふふ、ほら、そうやって逃げる」
 硯に筆を置き、傍らの沙那をくいと己に引く。
「ずるいなぁ、逃げてばかりで」
 きゅっと腕に力を込めると、沙那の手が謙信の身体を押し返した。
「逃げていません。…もう、墨、零れてしまいますよ」
「じゃあ、少し文机から離れればいい。…―――さ、これでいいでしょう?」
 机から身体をずらし、今度は腕を少し広げる。
「……も、もう!私、白湯をお届けに来ただけですから!」
 執務中の謙信に一息ついてもらおうと、白湯と梅干を届けに来たのだった。沙那はそれを思い出し、少しだけ頬を染めながらそう言い、立ち上がる。
 きっと先程の問いに答えたら、ここに居座る事になる。
「お願い事は、今晩までに考えておきますね」

「沙那」

「っ…」
「…おいで。私に一休みして欲しいんでしょう?だからこれ、届けに来てくれたんだよね?違う?」
「……謙信様…」
「ね?」
 小首を傾げ、くすりと笑う。
「墨と紙の声しか聞いてなかったんだ。…沙那の声が聞きたい。だから、居て?私の所に」
「……わかりました」
 息をつき、またその傍らに腰を下ろす。

「でも、可笑しな話ですよね?「会える」というお話なのに…お願い事〜とか」
「星合、か。…星は案外気前がいいものなのかな」
「まあ」
「ふふ、去年もその前も、願い事となれば君は私の事ばかり祈っていたけれど…」
「そういえば、謙信様は毎度毎度見せては下さらないのですよね」
「おや、見せていないわけではないよ。好きに見てもいいよ?」
「……あら、意地悪な事を」
 思い出す。謙信の短冊は毎度一番上にあり、全く文字が見えないのだった。
「ただ、空に高い方があちらが見えるかな、って思っただけだよ」
「ふふ」
「――――ん……おや」
「?」
「可愛い音が近付いて来たよ」

「あ、いたぁ」
「いらっしゃい」
「…あ」
 ぱたぱたと廊下を駆ける音。それが段々と大きくなって。やがて音が止むと障子が開く。小さな頭と共に、子供の声。
「あのね、謙信さま。みんなが竹を取ってきたってよって言ってるよ」
 庭に用意されているのだろう、庭の方向を指差し、腕をぶんぶんと振りながら急かすように言う。
「ね、ね!早く!謙信さまも、さな姫さまも!」
「そうか、…じゃあ、今のうちに書いてしまおう。子の刻の少し前には皆終わりに出来るように…。さ、少し明るい所に出ようか」
 書き物の用意を片手で持ち、もう片方を沙那へ差し伸べる。何処か楽しそうな謙信にくすりと笑い、その手を素直に取った。


 ――――日中、一番明るい庭が見える縁側。
 だが、大き目の庇と打ち水のおかげで縁側には涼やかな風が通っていた。その風に青々とした木々が揺らされ、木漏れ日が落ちてくる。
「わぁ、立派な竹ー…」
「兼続さまたちが取ってきてたよ」
「そうか」
 幾つか立てかけられた竹。その葉がさらさらと揺れる。もう幾つかの短冊が下がり、ゆらゆらと揺れていた。
「沙那姫はもう決まったの?」
「ふふ、またですか?」
「だって気になるじゃない」
 くすりと笑い、同じように竹を見上げる。
 それから縁側に胡坐をかくと、自分の膝の上に子を座らせ、短冊と筆を取らせた。
「? ……あー!後ろから見るんでしょー!!」
「ふふ、女子相手にそんな回りくどい真似はしないよ」
 「えー」と声を高く上げながら、真後ろのその胸に寄りかかり。
「信用ないねえ。じゃあ、私は目を閉じているから。安心して書いて」
「ほんとぉ〜…? あ、姫さまー?謙信さまがちゃんと目を閉じてるか見ててよ」
 謙信の隣に座る沙那の膝、着物を掴み、ぷう、と頬を膨らませながら。
「あは、はいはい。 じゃあ、謙信様?ちゃんと目を閉じていて下さいね。女子のお願い事なんて盗み見てはいけないんですよ…?」
 目を閉じた謙信の顔の前でひらひらと手を振る。
「おや…。うちの女子たちは手厳しいねえ」
「ふふ、あ。これ、何本ですかー?」
「五本」
「あ、見えてるんですね?」
「沙那姫ならそうするかなって思っただけだよ」

「もう、二人でうるさいよぉ」

「! まあ」
「ふふ、…本当に」

 さらさらと葉が音を立てる。
 温かさに包まれながら、ふ、と謙信は笑みを零した。

「(…楽しいねえ)」





 ――――子の刻。
 昼間と同じ場所で、空を仰いだ。この時間まで子が起きているわけもなく、ここには二人だけの影。
 零れ落ちて来そうな満天の星空の青白い光と、縁側に置いた橙の灯りが二人の間で混ざり合う。
「また一番高くなんですか?」
 竹を見上げ、遠くのそれを探すように目を細め、苦笑する。
「ああ、私の願い事はそこには無いよ」
「え?」
「ん、今年の私の短冊は二人で一緒に括ろうかと思ってね。まだここに」
 懐から藤色の短冊を出し、裏返しの状態で沙那の手に載せた。
 一瞬目を見開き、それからくすりと笑い、沙那も懐から短冊を出し、同じように謙信の手へ。
「では、私のも。まだ持っていたんです。吊るす機会を逃していて…」
「おや、無いと思ったらそこにあったの。……ん、まだ、温かいね、姫の温度だ」
「……っ」
 両手でそっと包むように短冊に触れるその指先に、とくん、と心の臓が跳ねた。

 きし、床の音を微かにさせて立ち上がり、目の前に下がる竹に隣り合わせに括る。すると、微かに吹く風が二人の願い事の文字をぴたりと重ねて、文字を隠した。
「おや、仲が良いものだねぇ、妬けてしまうな」
「ふふ、何を。…お願い事、同じなんでしょうか」
 ぴたりと寄り添い、離れない短冊を眺めながら、謙信は沙那を後ろからそっと抱きしめ、頬を寄せ。竹を、皆の願いが書かれている短冊を見上げた。
「唄っているみたいだね。……葉と、短冊が」
「…あは」
 微笑むその息の流れが、沙那の髪を、頬を撫でていく。

「――――ね、あの子の願い事、知っているかい?」
「え?いえ。知らない…ですよ」
 温かい背。直ぐ後ろに感じる謙信の体に少し重さをかけながら、首をそちらに動かす。
「……そう?」
「! あ」
 言った後、何故か、かちり、と何かが合わさったかのように、沙那の脳裏に何かが思い出された。





 ――――それは、まだ、謙信の正室になる前の事だった。

「姫さまは謙信さまのところにきたんでしょう?ずっと越後にいるんでしょう?」
「! え、うんん、そうだなぁ…」
「?」
「……。きっと、………そうはならないと思うよ」
 苦笑し、眉を顰める沙那に子はさらに問いを重ねる。
「え!?なんで?ここにいればいいのに」
「そうだね…。でも、んー…まだ、ね」
 曖昧な返答。言葉を濁す沙那に、ぷう、と頬を膨らませて。
「むー。あ!!じゃあ、しょうがないから、わたしがお願いしてあげるよ」
「え?お願い?」
「わたし、謙信さまとお話したのって、あまりないんだけどね、おとーさまたちがね、あの謙信さまはいいなって言うの」
「「あの謙信様」? …よ、よく分からないんだけど…」
「わたしも、一緒にいてほしいもん」
 にかっと笑って。





「まさか…」
 抱いている身体がぴくん、と動き。謙信は「ああ」と声を漏らす。
「…知っていた?あの子のお願い」
 優しく、低い声が耳元で囁かれる。
「今も、今回も…ですか…?」
「ふふ、今は流石に「書がうまくなりますように」と、自分の事のようだけれどね。それでも、何枚か書いた中には…」
 言いながら、懐紙を取り出し、それの中から短冊を引き出した。
「ほら。あの子の枕元で拾ってしまった」
「! ああー。…私、駄目ですね…。あんなに…小さな子に心配され…ッ」
 声がつまり、語尾が濁る。
 今度は苦笑するような息の流れと共に、腕が少しばかり強くなった。
「それなら私も一緒だよ。…最初はね、ただ、私と姫と遊びたいから、だったんだと思う」
 胸の前で結ばれる謙信の腕に、そっと手を乗せ、緩やかに掴む。
「それから皆が「私が変わった」と感じたのを、あの子もそれは良い方向だ、と感じ取ったんだろう。…姫を越後以外にやりたくない、って思ったんだろうね」
 それから、一息ついて。
「………。―――ああ、なんだか軍師のようだねえ、あの子は。結局は国の為にもなったわけだ」
「っ …そこまでですか」
 苦笑しながら言う謙信を振り向き。
「そんなに目を真ん丸くして。ふふ、本当の事だよ。分かっているとは思うけれど…、君が傍になかったら、私はきっとここにはもう居なかっただろうから」
「そう…ですか…ね?」
「ああ」

「…良かったね、私たち。こうして共に在って」

「はい…」
 空を見上げ、きらきらと輝く星を眺める。
「私の願いは――――……… ん…」
 首をまわし、言葉を言い切る前に優しく塞がれ。

「は…」
「…――――…でしょう?」
 唇が微かに離れ、息がかかる距離で。謙信は沙那の言葉の続きと、自分の願いを小声で囁いた。
「今宵のような星に願うのなら、大きな声で言わずとも良い。このくらいの声で丁度良いの。…ふふ」
「あはっ。そうかもしれませんね」
「ああ、君もそう思う?ふ、良かった…」


 ふ、と笑った息遣いが頬と、首筋をくすぐった。
「? 良かった…?」
「うん、だって君には拒まれたくないし。………ね、ならば、もっと傍に寄らないと」
 すっ、と目が細められ、光りを宿す。
「! も、もっと…?」
「そう、私の声、聞きたいでしょう…?」
「え?聞こえています…よ?」
「……沙那姫は時々意地悪だよね。私を困らせて楽しい?……私は、もっと君と…」
「…っ! そ、そういう――――…!」
 先程とは声の調子が違う。謙信の変化に驚いた沙那は、身を捩り、腕から抜け出そうとして、思わず濡れ縁の柱にぶつかってしまう。
 そのまま、ずるりと柱伝いに座り込み。
「ん!もう、こんな…!突然」
 その動作に少し乱れた裾を慌てて手で押さえながら、抗議の目を向ける。
「いいじゃない。安心して、人払いはしてあるから……」
 沙那の目の前に腰を下ろした謙信は、沙那の背後の柱に手を当て、もう片方は膝に置き。押さえている手を、つ、と撫で。
「え」
「当然でしょう?私たちの願いだもの」
「か、勝手に「たち」にしないで下さい!」
「おや、駄目だよ、嘘は。君はいつもそうだ。……いいじゃない、沙那姫は私と共に在りたいと思ってくれているのだから…」
「それは、…そうですが…」
「でしょう…?なら、問題ないよね」
 それは、艶やかに落とされ、少し、掠れ。何処か甘えるような声音。息混じりのそれに沙那の身体は震える。
「っ!」
「ふふ…もう、遅いよ……」
 柱に預けていた身体をゆっくりと濡れ縁へと倒して、そっと撫でていく。その手つきに強張っていた沙那の身体と心はほぐれ、その代わりに熱を増す。
「………あ」

 涼やかな風にさらさらと唄う葉。
 謙信の肩越しにきらきらと煌く空。熱に視界が潤んだのか、星たちの白はふわりとぼやけ、輝く。
「ああ……すごく…」
「うん…?」
「…綺麗で、…多分会えたから…。……皆の…お願い事は…」
「ああ、そうだね、きっと皆の願いも叶うよ。私たちも叶ったんだ――――…」
「謙信…様……」
 縋るように絡められた指に応え、その大きな手を握り返しながら、沙那は視線を謙信へと戻す。潤み、細められた目に、謙信は「おや…」と小さく言葉を零し、満足そうに笑みを湛えながら、沙那にその身を重ねるのだった。





七夕ー。

由来とかなんとかとか、入れようとしたけど「そこまでしなくていいや(笑)」と、フツーに行きました。
挿絵の1を描いて思いついたものです。

お願い事…なんでしょうかね、でも結局「平和が続きますように」とか「謙信様がー」とか、
そんな感じだと思うんですよねえ。国か謙信のことしか言ってない。


挿絵1 ・ 2


感想・要望などございましたらどうぞ『WEB拍手』

back