『大切に思えること』



 さっきまでの西陽はいつのまにか落ちていた。オレンジ色の光の梯子がうっすらと消えていく時間。

 細く開かれた扉から、廊下に微かに光が漏れている。それを開けてからベッドの方にいる人影を確認し、小さく名前を呼んでみる。
 ―――『小さく』呼んだのは意味があった。何かしているようだったから。

「…………」
 開ききった扉をノックする。
「!…ロクス」
 一瞬、肩がびくっと揺れて。振り向くと、その人だと言うことに安心したように微笑んで。
 それからぱたぱたと駆けて来る。
「静かにしてくださいね。疲れちゃって寝たところなんです。今、明かりも消そうかと思ってて」
「? 誰が」
「あの子の――…」と、言ってベッドに目を渡した。
「ご両親、共働きで…今日はお家を空けるそうなので…」

 よく見てみると子供がエスナのベッドに寝ている。いつも来ている子でもう顔見知りだ。
「私がお願いして教会で預からせてもらったんです。一人じゃ寂しいでしょ」
「ふうん」
「ええと、何かご用ですか?」
「いや。特に」
「…じゃあお茶でも淹れます。座っててください」
 にっこり笑ってから。
「あ。その前にベッドのところだけでも明かり落とさないと〜…」
「なんだ、じゃあ僕の部屋にするか」
「――ん。いいです。…起きたときに誰もいなかったらかわいそうですから」
 そんなものか。

 部屋の半分、明かりを落としたので随分薄暗い。その中で紅茶を飲んでいるのも変な気がする。
「! ………なんだ?」
 少し、微笑んでいる顔と目が合う。
「いいえ」
「ヘンなヤツだな…」
 視線を落として、それからまた上げると今度は窓の外を眺めている。――とは言っても、もう殆ど暗くなって、外なんて見えないのだけれど。
「…ロクス」
 殆ど唇を動かさないで。
「……寂しくないですか?」
「は?」
「最近、ロクスから聞いた昔の話…思い出すんです。――特に、みんなと遊んでいるとき。…お友達がこうで、家族がこうで……って聞いているとき」
「まだそんなこと気にしていたのか」
「…ロクスは…ご両親と…会いたくないですか?」
「――ないね。苦手だと言っただろ、どうでもいい…」
「でも、ロクスがそうに思っているだけかもしれません。……どうも、思えないんです…他人だって思えるものなのでしょうか」
「思えるんじゃないのか。実際僕はそう思っている」
「でもっ!!」

 ロクスは飽きれたような顔をして、エスナの後ろ…ベッドの方を指さした。――静かにするんじゃなかったのか?――と言う様に。
 なんでいきなり押しが強くなったりするのだろう、こいつは。

「…あ」
「とにかく、そんな過ぎた事を今更考えるつもりもない。僕には今がある」
 エスナはそれを聞くと、寂しそうに目線を落とした。
「…ごめんなさい」
「謝るのだったら、はじめっから言うな」


 明かりを完全に消して、窓辺に寄りかかった。
「はあ…」
 またやってしまった――と。
 わかっているのに。言うだけじゃダメだって。それに今更…辛かったことを引っ張り出してきて、どうして辛いことを思い出させるの?と。
 でも、あの夜…天使だった私に『苦手だ…あの人たちは』と言った顔が忘れられない。今でも。
「何も思ってないのにあんな顔するの…?」
 ベッドの側に行って、その脇に腰掛ける。
「…………」
 その子の布団をかけ直してやって。
「………ちょっと、待っててね」


「僕が、そう思っているだけかもしれない――だと?」
 部屋に戻ってからもそれが頭に残って。
 苛立ちを消すように手の中の羽ペンで机をこんこんと叩いたた。
「何がわかる…」
 ――幼い頃、ここに押し込まれて。周りの冷たい大人たちにちやほやされた。いい子でいてもわがままでいてもそれは変わらなかった。
 教会に親と来る自分と同じくらいの子を遠くから眺めた時もあった。そんな時、自分の両親を思い出しても、会いに来てなんてくれなかった。
 大人になって一度だけ会ったけど、もう僕なんて他人みたいな目で見られて。親らしい言葉だってかけてきちゃくれなかった。
「ちっ…」


 ああ、でも―――?


 ふわっ。
 いつも側にいると感じるあの空気。
「……!」
「辛いこと…思い出させてごめんなさい…」
「謝るなら言うなといっただろ」
 背中が温かい。
 廻された腕が、くっと強くなったのを感じた。
「でも、寂しい顔をしているから…。きっとご両親もそうじゃないかって思ったんです…」
 頬のあたりにやわらかい髪が当たる。
「うるさいぞ、エスナ…」
「…ロクスに言葉、掛けたくてもかけられなかったのかもしれない…抱きしめようとしても出来なかったのかもしれない」
「…そんなことはないね」
 そんな出来た話があるか。『教皇候補』なんていうのが遠すぎて『子供の僕』を見られなくなった両親。手の力が分かった時、段々僕を見る目が変わってきた…。
 君はそれを知らないだろ。
「ロクスがどう思っていてもいい。…でも、せめて恨まないで……。私は、あなたをこの地上に遣わせてくれたご両親をとても大切に思います」
「……君はわがままだな」
 ああ、恨んでいた。こんなとこに押し込んだ両親を。
「……ナ…」
 金髪が少し揺れている。それを指にからめた。
 でも、分かったことがある。だから今は――。
「…………………」
 語尾が…少しにごっていた。
「何で君が泣くんだ」

 自分の前でしっかりと組まれた腕を解いて、振り向く。
「泣いてませんっ」
「じゃあ、そうしておくか」
 それから、少し間をおいて。
「…今は…恨んでないさ…」
「!……」
 自分ができることを見つけられたから。それは両親のおかげじゃないと思うけれど、ここにいられるのは両親がいたから。君の言う通りだよ。
「都合のいいように解釈するのもいいだろ」
「っ?」
「エスナ」
「はい」
「…君は、放すなよ」
「わかっています」

「はは。……ほら、部屋に戻れ。…あいつ起きているかもしれないぞ」
「………。はいっ」




くどいようですが、『寒い夜』を見てからずっと思ってました。
ロクスは両親が苦手らしいですが両親はホントにそうなのかな〜って。

最近、小説をアップする前にお友達に見てもらってます。
その度に感想をもらって、また逆に考えさせられます。

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