最終話:純白の預言者・真実―
預言者。 古来から伝わる『神の声を聞く者』または『それを伝える者』…教会でイヤと言うほど読まされた本でもその名はあった。でも、今になってその本を開く自分がいる。 ―――真実を伝える預言者。 …君は? これが君の『真実』か…?――だったら、こんな『真実』は僕には必要じゃない。これだけは嘘でもいい…。 春先に旅に出て、もう、1年近く。 季節は巡っている。願いの通りに。春の花の温かさ、夏の日差し、秋の実り…。冬の…雪。……誕生日にはまた雪が降るのだろうか。 小さい教会を訪ねた。帝国首都から近い、小さな町。 「ここは、1年前は廃墟でしてね」 「ええ。存じております」 『そうですか』と神父は微笑んだ。 「誰から言い出したのか分かりませんが、この街の者は殆ど戻ってきました。ですが、先代の神父はあの戦いで亡くなってしまってね。今は私が」 「……………」 修復された教会。いや、まだ修復途中だ。 人と資材不足なのだろう、足場は作られたままだし、天使や預言者の像には布がかかっているものもある。 「いつか、こちらにも修復に手を寄越させましょう。エクレシアでも人手不足はありますが、ここまでじゃない」 「…ありがとうございます。フロレス様」 「―――僕は、…ここに来た事があります。……それで…」 どうしても思い出せない。あの天井から漏れてくる雪も、蜀台の蝋燭の明かりも思い出せるのに。約束の言葉。目に走る傷を優しく撫でてくれた手。 いや、その前にも、この世界を守る、なんて大それた目標を掲げて旅をしていた、のに――――? 人間の協力者は覚えている。 けれども、何か重要な部分が、すぽんと抜けていて。 「(いや、今僕は何故「人間の」と思ったんだ…?)」 「フロレス様。今日はこちらでお休みになってください」 「ああ、ありがとうございます。お世話になります」 断る理由はない。 ――――夜の帳が下りる頃。 最近、疲れているせいかこの時間には眠れたのに、やけに目が覚めていた。仕方なくベッドから降りると、雨戸と窓を細く開けて空気を取り入れた。 「寒いな。…は、もう、半年過ぎて…あと数か月で一年か」 自分の力の無さに挫折に満ちていたような気がするが、考えると教会で司教たちに囲まれて暮らしていた時よりは全然良いと思う。 布施の為に使われてきたこの手の力。今はそれを本当に必要な時に使う事が出来る。 そうして人々の笑顔を見る事が出来る。お礼も金子の量ではない。自分の家で採れた野菜や果物。一晩の宿。ここからの『ありがとう』全てが温かいものだった。 窓辺に椅子を持って行き、本を開く。 「…………」 だが、全く頭に入ってこない。本から視線を逸らし、俯いた。 このような時はよく思う。『僕にしか救えない人が一人、いたんじゃないか。この手を好きだと言ってくれた』――と。 「…………?」 何か、耳に触れたような気がして。 窓を開けて身を乗り出す。下に目をやると、下の階の礼拝堂がぼうっと光っていた。こんな時間に。 先ほど、耳に触れた音。 「……誰だ」 耳に声が届く。 全体的に白っぽい女性が礼拝堂の十字架に向かっている。唇が小さく動いて歌を微かに紡いでいる。 「ここの人か?こんな時間に…」 喉が乾く。それだけ言うのが精一杯だった。部外者の自分が侵入者を確認する意味はない。だが、何故確認したくなってここまで来てしまった。 「………」 振り向かない。その代わりに、 「覚えて……いますか?」 「……君…」 「もう一度、名前を呼んで。……あの声を聞かせて。あなたの真実を聞かせてください」 何度か深呼吸して言ったその声は震えている。 「な、何を…言っているんだ、君は。…僕は、知らないぞ…」 どくん、どくん、と心臓が早鐘を打つ。紫色の瞳が揺れた。 何か急かされる。今なんだよ、もう、逃すな、と。 きっと僕はこれを逃したら一生後悔する――――。そう確かに思うのに、唇が微かに動くだけで何も出てこない。 「……。そうですか。―――ごめんなさい、そうですよね」 少し時間をおいて、息をついて彼女はそう言った。 かたん。 椅子をならして立ち上がる。振り向いた姿は天使。寂しそうな薄い紫と深い蒼い瞳。 大きな白い翼が、ふわり、と舞う。 「!」 「……人違い、です。知らないのは当たり前なんですよ」 突如、時間が止まったように、周りの景色が褪せていく。 白い無数の光がちらちら落ちてくる。 「!?」 「忘れてくれればいいって思ったのは確かです。…覚えてなかったら諦めつくと思って…」 「!…」 「今まで持っていてくれたんだ?…私も、持ってた。…かっ、返しに来たんですよ…?」 泣きたいのを止めて微笑んで。首を傾げて言うと、首の赤い紐がふわりと動いて、金色の十字架が揺れた。 「は…? 返しに?なにを…だよ」 背に氷を押し当てられたように、ぞくっとする。 「君は…ッ」 「私…嬉しかったから。…『言葉』じゃなくて、あなたの『声』が」 いつも、訳のわからないような…意味のあるような、ないようなことを言って、微笑んでいた。
「私はきっと誰よりもわがままです。…また、名前を呼んでほしいって思って。 これはね…」 周りの無数の光に手を捧げる。 「私の記憶。……あの夜の…」 雪が降った寒い夜。 「……!」 言いたい事、呼びたい名前が声にならない。 今まであったことがぐるぐると頭の中を駆け巡る。苛立ち、怒り、諦め…。 教会の階段で声をかけられて、振り向いた。その声が温かく感じた。少し、怯えた目で見上げられた。 ――ええと、私は、天使…―― 天使なんて、居ないと思っていた。もし居たら、自分はこんな目に遭ってないって勝手に自分を不幸な奴にしていた。 ――――だから…天使なんて神話だけの生き物かって。 見つけられた大事なもの。コイツは僕の事を裏切らないって。 微笑んで言ってくれた。他の奴と比べずに。『教皇候補』じゃなくて『僕』を見てくれた。 僕だって、ずっと守ってやりたいと思ったんだ。あの優しい天使をたった一人の人として、もう、寂しさで泣くのはやめようと。 これから共に生きて、笑って。そこで泣いたり怒ったりをするのもいいと、僕は思っていたんだ――――。
「………!」 そうだ――――。あれは。僕の大切な。 なんでも出来るんだ、君を守る為なら。 「思い出して…くれなくても……いいです。 ああ、きっとこれで良かったんです…。あなたは間違っていない。それは私が保証します」 ぱたぱたと床に雫が落ちて。 「裏切った、と……思われるよりは、ずっと」 「……どうか」 「!」 「あなたに天界の祝福を。…良い旅を。――――ロクス・ラス・フロレス」 静かに名前を呼ぶ。ゆっくりと。胸の前で手を組み微笑んだ。 「(名を呼ぶことも、これで最後)」 『たった一人』から『生きとし生けるもの全てを』慈しむ天使に戻る顔。 大聖堂の地下には、美しい天使の像がある。胸の前で手を組み、伏せ目がちの目はきっと地上を見守っている瞳なのだろうと思っていた。全てを慈しむ天使。 天使の像と最初、似ていると思ったんだ。 けれど違った。 守護天使なんて大それた看板背負って大丈夫なのかと見ている方が心配になる程、頼りない。 強がってバカみたいに突っ込んでいく。 でも、それでもこんな僕が歩けるようになったのは。 「……エスナ…!?」 一番、呼びたかった名前。喉から絞り出すような声で。 「エスナ…」 「!?」 確認するように、もう一度。 名前を呼ぶと、今までの曖昧な記憶が蘇ってくる。時間の長さがまるでなかったように。 「!………」 びくん!肩が竦んで、驚いたように目を見開いて。口を両手で押さえた。 「あ ぁ…なん、で」 光は突然、ぱあっと姿を消し、今までの時間の色を取り戻す。 「僕は消滅なんて…天界に戻るなんて許さないぞ!君だけは裏切らないんじゃなかったのか!!」 「あ…」 「全てを慈しむ天使様に戻るなんて、君はもう出来ない筈だ!何が『あなたは間違ってない』だよ?このままじゃ間違いだらけじゃないか!!」 呼びたい名前も呼べずに、忘れたまま。何もなかった事にするなんて! 「ど…どうして覚えてるんですか…ッ!?」 また視界が歪んで敵、慌てて目をこする。 「…バカバカ言ったけどな。君くらいバカな奴は見た事がない。中途半端に記憶を消しやがって…この1年、気持ち悪くて仕方なかったぞ。やるならしっかりやれよ」 そうだ、空ばかり見上げていた。 「や、やりましたよ!私、補助魔法は得意なんです!」 「どうだか?この通り思い出したわけだけど」 「で、でも、消すのがいいと思ったから…!だってロクスにはこれからがあるんですよ!?私…なんて」 「これからぁ〜?何を勝手に完結しているんだ。いつ僕がそう言った?早合点もいいかげんにしろ」 「で、でも!私はそれがいいと思ったんです!」 「はぁ?じゃあなんで戻って来たんだよ」 「っ…!それ、は」 こうして怒る事も久しぶりだ。 いや、怒る、と言うのもおかしい気がするが。そう、本音をぶつけ合える仲だった。ほら、エスナだって『天使様』の威厳が消えているだろう? 「…ほらっ。こっち来いよ」 ぶっきらぼうに言って、手を差し出して。 未だに信じられないのか、よろよろと近寄るのももどかしく、腕を強引に引っ張る。 「……ひゃッ?」 「…もう、帰さないからな。天界にも…大天使の所にも。返してやるものか…ッ。何かを捨てて来たんじゃないのだろう?…じゃあ、僕とここを得る為に、ここに居ろ…」 くっと、服をつかんで。 「捨ててなんて来てません。ロクスが嫌な事はしたくないですから」 「へえ、大分嫌な事されたけどなぁ」 「そ、うですか〜…」 「………。 翼は、捨てる訳ではない。ずっと君の中にある。…翼だって僕の物だ。無くさせはしない」 「!」 「僕の為に何かを捨てる事なんてない。…だから、全て受け止める」 「ふふ…。…はい、じゃあ…あなたにあげます。私の翼」 「……」 翼に、背に手を当てて、光を分けてやる。 ふわり、と光が覆ったかと思うと、その光は一瞬収縮、それから膨張して――消えた。 エスナが言うところの癒しの手は、その人の優しさの力。 今はもう翼は必要のないもの。 だが、この二人には確かに重要なものだ。光と消えた翼はきっと二人の中に消えたのだ。 「は…」 「ああ…本当に、消えたな…。いや、こうも普通に消えるとは思わなかったよ」 曖昧だった身体は抱きしめるとしっかりと手応えがある。柔らかい。 「あは…。もう、帰れませんね…私」 「僕が半分受け取ったからな」 「ふふ、…すごいですねロクス」 見上げて微笑んで、その肩口に顔を埋めた。 ―ね、フロリンダ― ―はいです?― ―誰かを大事に思うって…天使はいけないことかな― ―フロリンはいいと思いますう― ―でも、大天使様たちは許してくださらなかった…― ―それはぁ…― 『天使は不安定だから。信じる事は綺麗事だけじゃない。…間違ったら直ぐに堕天してしまう。そうなってしまった天使をたくさん知っていたから』 ねえ、だから、人にも悪魔にもなりえるんだ…。 ―でも、でもねエスナ様?大丈夫ですう。フロリン、お願いしてますからねっ― 「預言者か…」 人が見たことのない天界の想像の本。そこで見た天使はあまりにも完璧すぎて。まさか、本当に戻ってくるとは……なあ。それ、神の言葉とやらに逆らっているんじゃないのか? 純白の預言者は神の言葉に逆らってまで地上に再び舞い降りた。 ――いや、逆らってはいないだろうとロクスは思い直す。 「(間違った心じゃないだろう?)」 だから、大天使たちも許したのだ。 大天使にとって自分の子供のように育ててきた翼。その純白の翼を預けるところが、勇者のところでもいいと。 「そうだな…」
「エスナ、エクレシアに帰ろうか。…僕たちの家に」 『帰るところ』がエクレシアになるのが、嬉しかった。 「……。はいっ」
冬の初めの雪を見上げて。 記憶の雪ではなく、本当の雪。 「そういえば、やっと雪の冷たさがわかるんだな?」 やっと、を強調してロクスは笑った。 「…何かバカにしてません?」 「君がバカだって思えばバカなのだろうな?」 「む!…もう」 言いながら窓の外に目線を渡す。 ロクスもそれに習って、ひとしきり見つめてから、それでも意識がこちらにないことを少し思うところがあったのだろう。頬に触れてこちらを向かせる。 「動くなよ」 「え?」 そう言わないと、顔を逸らすから。く、と喉で笑って。顔を近付けた。 「……。それから目は閉じろ。…いや、開けててもいいけどな」 そうだ、この紫と蒼い瞳、純白の翼に初めて会った日、僕は何を感じた? 「…なあ、君が僕の所に来た時の事、覚えているか?」 「! …ああ、はい。ロクス、なかなか振り向いてくれませんでした。私、一瞬間違ったのかな、って思ったんです、でも違ったんですね」 「(そんなのだったか?相変わらずよくわからない事は覚えているな…)」 「……、段々分かった気がして。名前で呼ばれる事、あまりなかったんでしょう?」 「……っ!」 そんな筈はない。みな、ロクス、と。 だけど、とロクスは目を見開いた。 「ふふ、…これからは私、天使と勇者じゃなくて呼び合えることが出来ます。ね、とても嬉しいですよねー…?」 「……。ふ、あはは!!全く、面白い奴だよ君は。 さて、随分と待ったからな――――」 「え…? ロク…ス…?」 瞳を、頬を指で撫でる。息のかかる距離からゆっくりと詰めていく。 重なる柔らかいものに、エスナは一瞬びくりと身体を竦ませ、身を捩ったが、自分を抱く手と伝わる体温と。ロクスの息遣いが身の内の入ってきて、身体が解けていく。 りーん、ごーん…と鐘が鳴った。 こんな刻限に誰が鳴らしているのか、そんな事は二の次で。これは天界の祝福だ、と勝手に結論付ける。 「…ありがとう……こんなに嬉しい事はない…」 ――…過去の戒めに本当に解かれた気がする。 これからは――本当の光の翼が舞い降りる。
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最終話です!!ぎゃああ〜とうとう終わってしまった〜っていうか終わったよ! ちゃんと最後まで書くことができて嬉しいですよ。三日坊主で飽きると思ってたのに。 言い訳はあとがきでやります(あるんかい)。 ってか、このまま人間になれたのか?後日談とかで『ラファエル様が翼を消しに来ました』とかだったら笑う。 最後の言葉が使いたかったんだ〜〜!ゲームのパッケージの裏の…。 天使に年齢があるのか不明ですが、見た目年齢はロクスと同じくらい…です。 感想など頂けると嬉しいです TOP |