聖なる夜を、ごいっしょに



「あ、あのー…ロクス?」
 すたすたと前を歩くロクスを必死で追いかけながら、エスナは尋ねた。
 …いまいちどういう状況なのか理解できていない。

「いいから黙ってついてこい」
 このひとはいつもこうだなあ、とエスナは思う。
 いつも大事なことを話してはくれないのだ。
 それでも彼が考えていることは決して自分に害をなすことではないということは信じられる。
 だから、遅れないように、とりあえずはその背を追いかける。


 確か、ロクスから面会の申し出があって。
 会いに行ったら人間の姿になれとか言われて。
 そのまま服屋へ直行で。
 ロクスが適当に見繕った服を着せられてその服をロクスが買ってそのまま店を出て歩いてきて。
 ……今に至る。


 すれ違うひとの数が増えてきて、どこかで何かがあるのかな、と考えるがそれが何なのかはエスナにはわからない。
 人々が荷物を抱え何やら幸せそうに通り過ぎていくのを眺めていると、突然ロクスに腕を引っ張られる。

「おい」
「…? なんですか?」
「あまりきょろきょろするな」
 顔をしかめてロクスが言う。…機嫌が悪そうだ。
「で、でも。あっ、ロクス、あのひとが持ってるの、何ですか?」
 目の前をゆくひとが黒くて細い棒のようなものを持っているのを見て、エスナの興味がそちらへ向く。
「あれは、飴だよ」
「黒いのに、飴なんですか?」
 疑問を口にしながらも、その顔は『買ってください! 食べてみたいです!』オーラを大放出している。
 その表情に勝てるわけもなく、ロクスは一度ため息をついて。

「……後悔しても知らないぞ?」


「うううう〜……」
 黒い飴にかじりついたまま、渋い顔でエスナは唸った。
 だから言ったろう、とロクスは腰に手をあてて呆れ顔で言う。
「……金木犀の味がしますー…」
「ああ、その表現は間違ってないな」
 ただしロクス自身は『便所(の芳香剤)の匂い』がする、と思っているのだが。
「それは別に食べるものじゃなくて、飾っておくものだからな」
「…そうなんですか?」
 飴を袋に戻しながら、エスナが尋ねる。
「ああ、悪い子どもの所に魔女が炭を持ってやってくるっていう言い伝えがあってな、それを模したものなんだ」
「えっ! じゃあ私、悪い子なんですかっ?」
 何でそうなる…と脱力しつつ、ロクスは話題を変える。
「今日は聖者降誕の祭りなんだ」
「お祭りなんですか! ロクス、私がお祭り好きなの知ってたんですか?」
「さあな」
「…知ってたんですね。ありがとうございます」
 そう言って笑まれてしまっては少々ナナメだったロクスの機嫌も直るというものだ。
 つられるように口の端を持ち上げて、ロクスは言った。
「さあ、行くぞ。迷子になるなよ」
「なっ…なりません!」


 街中は人でごったがえしていた。が、騒がしくはなく、人々は囁きあうよう
に話し、ひそやかに笑いあい、ゆるやかな時間が流れていた。まるでそこだけが他の場所から切り取られたように。
 道の両側に出店が出ていたりして、普段見慣れないものにエスナは夢中にな
っていた。
 ふと、『きょろきょろするな』とロクスに言われたことを思い出して、視線を上方へと戻した。

「ロクス――…あら?」

 さっきまで斜め前にいたはずの紫のマント姿が消えている。
「……しょうがないですね、ロクスったら。迷子になるなんて」
 ……幸か不幸か。迷子になっているのはむしろ自分だということに、本人は気付いていない様子である。
 頬に手を当て、ほうっ、とため息をついたとき、誰かが肩を抱く気配がしてエスナはそちらを向く。

「もう、ロク……ス?」
 探し人かと思って見上げたその顔は、……見も知らぬ男の顔であった。
 ぽかんとしているエスナに、男はやたら親しげに声をかける。
「お嬢さん、おひとりで?」
「あ、いえ、私はお嬢さんではなく、エスナというんですが……」
「おお! エスナさんとおっしゃる!!」
 大げさに感嘆の声を上げる男を溢れんばかりの疑問をたたえた顔でエスナは見た。
 その視線に、男は居住まいを正した後わざとらしい仕草で名乗る。
「失敬、ワタクシはジェロニモ・ウィンダスと申すしがない貴族です。…貴女はどうやらおひとりだとお見受けしますがどうです、ワタクシと一緒にいらっしゃいませんか?」
「一緒にロクスを探してくださるんですか?」
 何かよくわからん名詞が出てきたぞ? と思いながらも、下心いっぱいのその男(ジェロニモ)は満面の笑みで了承する。
「も、もちろんですよ! 貴女のように可憐でお美しい女性をひとりにしてはおけません! さあ、参りましょう!」
「はいっ」

 下心丸出しのジェロニモと、ひとを疑うことを知らないエスナ。このふたりの会話は傍から聞けば全く噛み合っていなかったのだが、本人たちはそのようなことに気付いてはいなかった。


 一方その頃。
「くそっあのバカ天使…っ! 一体どこフラフラしてるんだ!!」
 額に汗をにじませながら、ロクスはエスナを探し回っていた。彼女がどこにいようとも、目に入るところにいればすぐに見つけられる自信はあった。
 それを世間では『惚れてる』というのだが、本人はどうやら認めるつもりはあまりないらしい。
 エスナがロクスとはぐれたことで困ったり泣いたりしていることは想像できないが(何せ天性ののんびり屋である)、ろくでもないことに巻き込まれていないとも限らない。……というより、十中八九巻き込まれている、と、思う(そしてその想像は正しい)。

 肩がぶつかった道行く人が、不思議そうにロクスを見るがそんなことに構っている余裕はない。
 ちっ、とひとつ舌打ちをして、汗をぬぐう。悪いほうへ悪いほうへと転がり落ちていく想像を頭から振り払って、前を見据えた。
 ……あっ、とロクスは声を上げそうになる。
 微かに聞こえた声。あたたかな光。
 突然立ち止まりものすごい勢いで振り返った彼の目に写ったものは。


 がしっ、と強い力で肩を掴まれ、ジェロニモは不快そうに振り向いた。
「何なんだ、失敬だな」
 そこにいたのは、笑顔の聖職者。ただし、ずいっと近づけられた顔は引きつり、額には青筋がたっている。
「失敬なのはどちらだ。……てをはなせ」
「……は…?」
 聖職者の口から発せられた思いもよらぬ言葉に、ジェロニモは固まる。
「ロクス! 探していたんですよ!」
 嬉しそうに笑うエスナの肩に、ジェロニモが手を回していた。
 探してたのはこっちだ、とか、見知らぬ男に肩抱かれてにこにこしてるんじゃない、とか、いろいろ言いたいことはあったが、とにかく相手の男に対する怒りがそれを勝った。
「手を離せ、と言っているのが聞こえないのか。……それとも何だ、こう言った方が、わかりやすいか」
 更に凄みのある笑顔で、地獄の底から響くような声で、ロクスはジェロニモに囁いた。

「……ひとの女に手を出しておいて、どうなるかわかってるんだろうな……」

 肩を掴む手に力を込められ、ジェロニモの肩がみしりときしむ。ひっ、と思わず息を飲む。
「あの……?」
 何が起こっているのか理解できていないエスナが、ふたりに声をかけた途端。

「し…っ、失礼いたしましたあぁぁあ!!」

 …涙混じりの声で叫びながら、ジェロニモは脱兎のごとく逃げ出した。


「…ったく、君は警戒心がなさすぎだ。ちょっとは人を疑うことを覚えたほうがいいぞ」
 あの後、ロクスはエスナを公園の噴水へと連れてきた。とにかく落ち着いて話をしておいたほうがいいと思ったからだ。縁に並んで腰掛ける。
 …が、自分がナンパされていたことにすら気付いていない彼女には、何を言っても通じていないようだ。
「どうしてですか? 私は人を疑うなんていやですっ」
 強くそう主張するエスナに、ロクスは深くため息をつく。
「それに、あの方はそんなに悪いひとじゃなかったですよ。ロクスを探すのも手伝ってくださいましたし」
 にっこりとそんなことを言われ、
「あのなー…それが口実なんだよ…」
ロクスはさらに頭を抱えることになる。
 そのままぐったりと石畳を見つめていたロクスの横で、エスナが立ちあがる気配がした。
 何事かと顔を上げたロクスの鼻先に、冷たいものが触れる。空を見上げると、冬の夜空にくっきりと浮かび上がる星々をバックに、やわらかな輪郭の白いものが地上へと降ってくるところだった。

「ロクス! 雪です〜!」
 うれしくてたまらないのだろう、エスナも空を見上げながらはしゃぐ。くるっとターンしたことでそのスカートがふんわりとふくらんだ。
 普段は彼女が天使であることに、神々しいとか、手が届かない存在だとか、そんなことを思ったことはなかった。だが、今の目の前の光景は、あまりに幻想的で、何か自分の力の及ばないものが彼女を連れて行ってしまいそうな気分にさせる。
 ロクスは、雪に夢中になっているエスナを、思わず後ろから抱きしめた。
 少し驚いた顔をして、それからとびっきりの笑顔をして。エスナはロクスの腕に触れた。
「…ロクス、寒いですか…?」
 ……脈絡のない会話は、いつものことか。ロクスは苦笑する。
「いや。……いや、少し、寒いかもな」

 それを言い訳にしてでも、彼女を掴まえておけるなら。

「じゃあ、私であったまってくださいね。……どこにも、行きませんから」
 鋭いのか、鈍いのか。彼女はいつも、自分が本当に欲しい言葉をくれる。欲しいなんてことは言えずに、心の奥底に隠しておいたささやかな望みを、彼女は叶える。
 ……だから、いつも敵わないんだ、君には。
「…? 何か言いました? ロクス」
 悔しいから、本当のことは言わない。…一番の望みを、彼女に言うことはしない。
 こんな我が侭を、伝えることはしない。
「いいや、何も」
 その返事に、少し笑ってエスナは言う。
「雪、きれいですねえ……」



〜後日談〜
「ぶえっくしょん!!」
 派手なくしゃみと、鼻水をすする音。
「だから、寒いなら早く宿に戻りましょうって言ったじゃないですか〜!」
「うるさい! こんな風邪なんか何とも……は、はっくしょい!」
「ロクス…熱があるんだから、ちゃんと寝ててください…。任務はルディにお願いすることにしますから」
「何ー!?」
「じゃあ、おとなしくしてなきゃダメですよ!」
 そう言ったかと思うと、エスナは転移魔法でその場から姿を消した。
「あっ、まっ待てエスナ……ッ!」
 ……咄嗟に伸ばした手は、むなしく空を掴む。
「…くそっ、何なんだ! …っくしょーい!!」

 その後、風邪が治ったロクスに、ルディエールが謂われなきイヤガラセをうけたかどうかは、定かではない。




みゅうちゃんからいただきました!
ジェロニモ氏に爆笑。彼はみゅうちゃんのオリジナルです。
レグランス編もあってそちらにも登場するのですよ。
というか、私が「エクレシア編が見たい」と騒いだからなんですけどね。


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